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[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて[[五社協定]]という取決めがあり、[[映画会社]]と専属契約を結んだいわゆる映画俳優は、自社製作の映画以外への出演が制限されるなど、明確に活動範囲を区分されていた。そのため初期の[[大河ドラマ]]は、歌舞伎界や新劇などの俳優に頼らざるを得なかった事情がある。同時期の[[民間放送|民放]]のテレビドラマも同様で、[[海外ドラマ]]を輸入して放送したり、[[テレビジョン放送局|テレビ局]]で制作するドラマには、映画俳優以外の俳優や新人を起用することで対処していた。
 
[[1970年代]]になり、邦画の斜陽化に伴って五社協定が自然崩壊し、さらには映画会社がテレビドラマの外注先になって[[テレビ映画]]を制作するなど、映画とテレビとの垣根はほぼ消滅したが、既にテレビドラマの制作現場では映画俳優に頼らないシステムが確立されていたため、別ジャンルから俳優業に参入するケースは以前より増えた。ただし、テレビドラマにおいては俳優の実力よりも、テレビ局と所属事務所、あるいは番組[[スポンサー]]との関係や、俳優個人の人気すなわち[[視聴率]]を取れるかどうかを重視してキャスティングすることが多く、視聴者が疑問を感じるキャスティングがされる場合もある。
 
現在の日本国内においてもっぱら劇場用映画に出演して生活を成り立たせることができる者は皆無に近い。つまり「映画俳優」はほぼいなくなった。
 
[[1990年代]]以降、テレビ局主導で映画製作が行われるケースも一般的になり、テレビドラマの制作スタイル(俳優業を本業としない者が俳優を兼業するスタイル)の領域も拡大傾向にある。一方で、俳優と名乗りながら[[バラエティ番組]]などで活動している者も多数おり、職業としての俳優という区分はあいまい曖昧になりつつある。これについて、映画俳優の設定が確立しているアメリカと違い、拘束時間が長い割に金銭的に恵まれない日本の俳優の環境のちいの指摘されることもあるが、俳優個人の価値観や所属事務所の方針の問題も大きい。また、それぞれの出身の職業をあくまで本業としつつ、俳優業を含めて様々な活動を行う者もおり、[[マルチタレント]]と呼ばれる場合がある。これは評価される場合もあるが、否定的な見方をされることも多い。また、欧米では主に[[コメディ]]映画・ドラマに出演する者はコメディアンと呼ばれるが、日本では「コメディアン=お笑い芸人・お笑いタレント」を意味する言葉として定着しており、コメディ映画に多く出演する俳優であっても「俳優」に括られることが通常であって、そのような者が「コメディアン」と呼ばれることはほとんど無い。
 
欧米では主に[[コメディ]]映画・ドラマに出演する者はコメディアンと呼ばれるが、日本では「コメディアン=お笑い芸人・お笑いタレント」を意味する言葉として定着しており、コメディ映画に多く出演する俳優であっても「俳優」に括られることが通常であって、そのような者が「コメディアン」と呼ばれることはほとんど無い。
俳優業は華やかな一面、厳しい世界だと言われている。俳優として有名になれるのはほんのわずかであり収入も安定していないため、挫折する者が多い。また、ずっと俳優でいられる保証はなく、一時的には第一線で活躍していた俳優でも現在はほとんど仕事がない人もいる。
 
俳優業は華やかな一面、厳しい世界だと言われている。俳優として有名になれるはほんのわずかであり収入も安定していないため、挫折する者が多い。また、ずっと俳優でいられる保証はなく、一時的には第一線で活躍していた俳優でも現在はほとんど仕事がない人もいる。
 
また、政治活動に参加する俳優も存在するが、伝統的に日本の俳優は将来の仕事の幅や一部の消費者離れを恐れて政治色をあまり出さない傾向にある。