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==生涯==
父 唐公徳は、[[蘇州市|蘇州]]呉県の繁華街で営業していた肉屋(あるいは酒屋、飲食業)だった。幼少から利発であったため教育を受けることができた。張霊とは幼なじみであった。幼少から利発であったため教育を受けることができた。絵を[[沈周]]に学び、早熟型でもあったため人々の注目を集めた。十六16歳のときに蘇州府学に入学、生員となった。ここで。同年の文徴明と親友となった。文徴明は、享楽型の唐寅とは対称的な真面目人間であったが、それ故にウマがあってこちらも2020年に渡る親友となった。文徴明の父、文林も唐寅の才能を認めており、自分のネットワークを通じて唐寅の名を宣伝してくれた。 名門の子であった祝允明は、飲む打つ買うの道楽者で、突飛な奇行で知られた人物であり10歳年上だったが、生涯に渡る親友となった。1488年、最初の妻:徐氏と結婚したが、6年後死別した。
 
青年期になって、科挙受験のため勉学に励むが御覧の通りの享楽者故にまったく身が入らなかった。この状況を見るに見かねた祝允明の説教によって一念発起、遊びにも目をくれず一心不乱に勉学に励んだ結果、[[1498年]]29歳の時、南京で行われた郷試にトップで合格。郷試をトップで合格した者は解元と呼ばれるため、唐解元という呼び名もここから来ている。科挙に落第し続けた祝允明や文徴明とは違い、高級官僚への道が開けたように見えたが思わぬ落とし穴が待ち受けていた、会試でのカンニング事件に連座して投獄、その結果、科挙の受験資格を失ってしまうのである。