「シャルル=フランソワ・ドービニー」の版間の差分

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→‎生涯: 年代を修正。レジオンドヌール勲章騎士賞1857→1859
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→‎生涯: 1834→1843
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== 生涯 ==
[[パリ]]生まれ。父Edmond François Daubigny、叔父Pierre Daubignyも風景画家であり年少時より教育を受けた。[[18341843年]]に[[フォンテーヌブロー]]の森などで作品を制作して以降、多くの土地を旅行してまわり、戸外での観察を重視して風景画を多く描いた。[[1857年]]からは、自身の所有する小舟「ボタン号」をアトリエとして使用し、[[セーヌ川]]や[[オワーズ川]]に浮かべて舟の上から制作することもあった(このアトリエ舟での制作手法は後に[[クロード・モネ|モネ]]に受け継がれた)。[[1860年]]以降はパリ郊外の[[オーヴェル=シュル=オワーズ]]に住んだ。[[1868年]]には[[サロン・ド・パリ|サロン]](官展)の審査委員を務め、モネなどの後に印象派を形成する事になる若い画家たちを積極的に評価した。[[バルビゾン派]]の一人に数えられ、[[印象派]]につながる重要な先駆けを果たしたといわれる。
 
1859年に[[レジオンドヌール勲章]](シュバリエ)を受勲し、1874年に、レジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した<ref>The Iconographic Encyclopaedia of the Arts and Scien: Sculpture and painting, 1887, page 138</ref>。