「神々の深き欲望」の版間の差分

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今村作品では初のカラー作品で、[[赤土]]や太陽の暑さを描くために、赤味のある[[アグフア・ゲバルト|アグファ]]社のカラーフィルムを使用した。[[沖縄県]]の[[南大東島]]、[[波照間島]]などで撮影が行われた。
 
竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは』(ちくま文庫)において、[[嵐寛寿郎]]がこの作品の撮影の過酷さを吐露している。今村が本作とは別に撮っていた映画『東シナ海』のロケで沖縄にいた嵐寛寿郎は「たったの1時間で石垣島までいける、もう1本撮りましょうや」と監督の今村に口説かれて首を縦に振ったところ、「1時間やったら、ギャラかせいでもええなあ。これが間ちがいのもとや、何が1時間ですか、南大東島まで持っていかれた。誘拐ですわゆうたら、1時間のはずが3カ月、半年、1年ちかく撮影かかりました。もうむちゃくちゃダ、暑いの何のムシ風呂でおます南大東島。」と語り、撮影に入る経緯を語っている。また、「おまけに今村昌平、自分ばかり女抱いとる。あの[[沖山秀子]]。これが頭おかしゅうなった、ビルから跳びましたやろ。7階も上から<ref>今村との不倫が原因かは不明だが、精神疾患による自殺未遂を多数繰り返している</ref>。ほてから生命たすかった、バケモノや。」「男優かて三国連太郎、[[破傷風]]にかかって、足1本なくすところでおましたんやで。それでも、まだこりずに、ゼニもらわんと、自費でやってきよりますのや。変なのばっかり。沖山秀子、監督と毎日オメコしとる、かくし立てしまへん。」等といった告白もしており、嵐自身も何度か撮影が嫌になって逃げ出したことがあったという。この映画の出来自体は「これほど印象深い作品はおまへんな。ブルーリボンの助演男優賞とった。本番18回のおかげや。ゆうたらまあ芸術映画ダ、キネマ旬報のベストワン。娯楽作品としても立派な出来やった」と述懐している。
 
上述で嵐が言うように、本作は[[キネマ旬報ベストテン]]第1位にランクインされたほか、[[毎日映画コンクール]]日本映画大賞・脚本賞・助演男優賞を受賞した。[[1999年]]に[[キネマ旬報社]]が発表した「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では55位にランクインされた(同じ順位に『[[キッズ・リターン]]』『[[台風クラブ]]』など)。