「青木保 (文部官僚)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
文面変更、文献追記、整形
m →‎来歴: link
27行目:
 
== 来歴 ==
[[嘉永]]4年[[12月12日 (旧暦)|12月12日]]([[1852年]][[1月3日]])、青木元永の長子として[[備中国]][[足守]]に生まれる<ref name="bisaku" />。[[幼名]]は英之進<ref>『明治宝鑑』。</ref>。[[藩校]]・[[追琢舎]]を経て[[犬飼松窓]]、[[山田方谷]]らに[[漢学]]を学んだのち、[[明治]]3年([[1870年]])12月に[[足守藩]]選出の[[貢進生]]として[[大学校 (1869年)#大学南校|大学南校]]に入学<ref name="bisaku" />。貢進生制度が廃止され、校名が南校、第一大学区第一番中学と移り変わる中、[[英語]]専攻の学級に在籍して学業を続け<ref>東京大学百年史編集委員会編 『[http://hdl.handle.net/2261/00078981 東京大学百年史 通史一]』 [[東京大学]]、1984年3月、ISBN 4130010514、174-175頁、179-184頁、266-271頁。[http://school.nijl.ac.jp/kindai/HRSK/HRSK-00145.html#22 『壬申四月改 南校一覧』 人名表5丁表]。『文部省雑誌』明治6年第2号、10-11頁。[http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000085552 『第一大学区 第一番中学一覧表』 1873年3月]。</ref>、明治6年([[1873年]])4月に同校が[[旧制高等教育機関#「学校令」以前の高等教育機関|専門学校]]である[[開成学校]](ほどなく東京開成学校と改称)に改組されると[[法学]]科の[[予科]]に編入されている<ref>前掲 『東京大学百年史 通史一』 284-287頁、297-299頁。[http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000085586 『文部省雑誌』明治6年第3号]、10頁。[http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000095342 同誌明治7年第11号]、1-2頁。[[所澤潤]] 「大学進学の始まりと旧制高等学校教育の起源 : 明治七年三月のモルレーの建言のもたらしたもの」([http://www.u-tokyo.ac.jp/history/03_01_j.html 『東京大学史紀要』第14号、東京大学史史料室、1996年3月])24-25頁、32-35頁。[http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000095382 『文部省雑誌』明治7年第15号]、1-2頁。[{{NDLDC|992865/28}} 『東京開成学校一覧 明治八年二月』 50-51頁]。</ref>。
 
明治8年([[1875年]])7月、退学して[[兵庫県庁|兵庫県]]十一等出仕となり、同県四等訳官兼権中属、次いで中属兼三等訳官に昇任<ref name="bisaku" /><ref name="kobunroku">「公文録・明治十七年・第百九十七巻」。</ref>。明治10年([[1877年]])1月、官立[[師範学校#1872年 - 1886年|大阪師範学校]]の教員兼監事に転じ、明治11年([[1878年]])1月には校長心得を命じられたが、同校は経費削減のため翌2月に廃止され、残務引継に追われた<ref name="kobunroku" /><ref>[[倉沢剛]]著 『学制の研究』 [[講談社]]、1973年3月、856-858頁。[{{NDLDC|813498/90}} 橋南漁郎著 『大学々生溯源』 日報社、1910年5月、140頁]。「大阪師範学校」(『大阪府教育百年史 第一巻 概説編』 [[大阪府教育委員会]]、1973年3月)。</ref>。その後、同年5月に[[秋田師範学校|秋田県師範学校]](12月に秋田師範学校と改称)副校長となり、7月には[[秋田県庁|秋田県]]五等属に就任。翌年1月まで県学務課長兼師範学校長を務めた<ref name="kobunroku" /><ref>[[秋田県教育委員会]]編 『秋田県教育史 第五巻 通史編一』 秋田県教育委員会、1985年3月、470-473頁。</ref>。秋田時代には元[[大阪英語学校 (旧制)|大阪英語学校]]教師[[クリストファー・カロザース]]を英語教師として招聘する契約を結んだほか<ref>『秋高百年史』編纂委員会編纂 『秋高百年史』 [[秋田県立秋田高等学校]]同窓会、1973年9月、28頁。高橋俊昭著 『英学の時代 : その点景』 学術出版会〈学術叢書〉、2008年2月、ISBN 9784284101189、96-98頁、124頁。「Christopher Carrothersの雇英語教師としての足跡」(小股憲明著 『明治期における不敬事件の研究』 [[思文閣出版]]、2010年2月、ISBN 9784784215010)。</ref>、明治11年7月に紀行作家[[イザベラ・バード]]が当地を訪れ師範学校に立ち寄った際に校内を案内している<ref name="okuchi2" />。