「唐人屋敷」の版間の差分

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[[1698年]]の[[末次火事|大火]]で五島町や大黒町にあった中国船の荷蔵が焼失したため、倉庫に目が届きやすいよう、唐人屋敷前面の海を埋め立てて中国船専用の[[新地蔵所|倉庫区域]]を造成した。この地域が新地と呼ばれる。[[1784年]]の大火では唐人屋敷全体が関帝堂を残して全焼、大火以後唐人が自前で住居などを建築することが認められた。[[1859年]]の開国によって唐人屋敷は廃屋化し、[[1870年]]に焼失した。その後、在住中国人は隣接の長崎市新地町に中華街を形成し、[[長崎新地中華街]]となる。
 
唐人屋敷の遺構としては、明治期に修復改装された土神堂、観音堂、天后堂、[[1868年]]に[[福建省]][[泉州市|泉州]]出身者によって建てられた旧八門会所、[[1897年]]に改装、改称された福建会館前門が残っている。
 
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