「ヤジエセツルメント」の版間の差分

 
== 経緯 ==
1959年10月15日に[[名古屋大学]]教養部の自発的な活動として「泥の会」が発足する<ref>『伊勢湾台風』名大教養部内被災学生を守る会事務局 p163</ref>[[伊勢湾台風]]を国の予算の分析や土木開発の視点から多角的に検証し、問題を提起した。また当初からセツルメントの設立を方針として掲げていた<ref>『現代思想』第34号 第1号2006 P173 </ref>最も被害の酷かった人々が住む地域として[[名古屋市]][[南区]]での設立を目指していたところ、市有の競売にかけられる予定の旧養鶏場の空き事務所を学生自ら交渉を重ねて借り受けるに至った<ref>『伊勢湾台風』名大教養部内被災学生を守る会事務局 p167</ref>運営に必要な費用は、後援会を組織し、各国の大学に呼びかけて集めた<ref>『伊勢湾台風 その後二十年』いずみの会編 p123</ref>
 
== その後の展開 ==
及川、難波ともに名古屋にとどまった。及川は1962年3月に、かつての学生セツラー原田正造と結婚した。1965年1月の時点では一児をもうけており、名古屋市の井戸田幼稚園で働いている。難波は被災者支援をしていた医療福祉関係の川本某と結婚した。1965年1月の時点では一児をもうけており、名古屋市のみどり子どもセンターで働いている{{Sfn|上、山崎|1965|pp=306}}
 
== 評価 ==