「吹田信号場」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
跡地利用について、貨物駅以外のことがらを加筆。
33行目:
|備考全幅 = * 貨物線上の実際の隣の施設<br />** [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]に操車場機能を廃止し、吹田操車場から改称。<br />*** 吹田貨物ターミナル駅の営業開始に伴い、同駅構内扱いとなる。
}}
'''吹田信号場'''(すいたしんごうじょう)は、[[大阪府]][[吹田市]]芝田町にあった、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[東海道本線]]の[[信号場]]である。同路線の貨物線上に位置し、営業キロ上では[[千里丘駅]]と[[岸辺駅]]の間に所在していた
 
同路線の貨物線上に位置し、営業キロ上では[[千里丘駅]]と[[岸辺駅]]の間に所在していた。
かつての'''吹田操車場'''であり、東洋一の規模を有する[[操車場 (鉄道)|操車場]]であったが、[[1984年]]2月の[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|ヤード集結式輸送]]の終結により信号場に格下げされ<!--、その後、梅田駅の移転事業の一環として再度貨物駅化され-->た。
 
当記事では、旧'''吹田操車場'''および、当信号場の後身として跡地に設置された[[日本貨物鉄道]](JR貨物)の'''吹田貨物ターミナル駅'''についてもわせて記述する。
 
== 概要 ==
かつての'''吹田操車場'''であり、東洋一の規模を有する[[操車場 (鉄道)|操車場]]であっとされていたが、[[1984年]]2月の[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|ヤード集結式輸送]]の終結により信号場に格下げされ<!--、その後、梅田駅の移転事業の一環として再度貨物駅化され-->た。
 
位置的には旅客線上の岸辺駅の北側に広がっていたが、岸辺駅とは同一構内として扱われなかった(そもそも岸辺駅は旅客線のみの[[停車場#停車場の定義|停留所]]である。千里丘駅も同様)。
 
跡地については[[日本国有鉄道改革法|国鉄改革法]]に基づき旧[[日本国有鉄道|国鉄]]が[[梅田信号場|梅田貨物駅]]を廃止しその機能を当地へ移転することを企図したが、用地の利用については自治体([[大阪府]]・[[吹田市]]・[[摂津市]])および鉄道関連の諸団体([[鉄道建設・運輸施設整備支援機構|日本鉄道建設公団]]・[[日本貨物鉄道|日本貨物鉄道(株)]])により協議の結果、梅田貨物駅の機能については当地を含め分散移転することで合意が図られた。また、貨物駅用地以外については両市による構想が示されたのち、上記各団体および[[都市再生機構|(独)都市再生機構]]も交えて合意書が締結され、都市開発が進められている。<ref>[http://www.pref.osaka.lg.jp/toshiseibi/suita/index.html 吹田操車場跡地利用] - 大阪府(2016年8月5日更新、2020年2月23日閲覧)</ref>※[[#建設の経緯|#吹田貨物ターミナル#建設の経緯]]も参照。
当記事では'''吹田操車場'''および、当信号場の後身として跡地に設置された[[日本貨物鉄道]](JR貨物)の'''吹田貨物ターミナル駅'''についても合わせて記述する。
 
このうち吹田市域の土地開発に供される用地は「北大阪健康医療都市」(愛称「健都」)を標榜し、当地へ移転が完了した[[国立循環器病研究センター]]や[[市立吹田市民病院]]のほか、医療関連の研究機関・企業等の誘致に努め、複合医療産業拠点(医療クラスター)の形成を志向している<ref>[https://www.city.suita.osaka.jp/home/soshiki/div-kenkoiryo/kento/seibijigyou.html 北大阪健康医療都市のまちづくり](北大阪健康医療都市推進室) - 吹田市(2020年2月23日閲覧)</ref>ほか、[[図書館]]を核とする複合公共施設「健都ライブラリー」には[[新幹線0系電車]]の最終営業運転で使用された車両1輌 (22-7007) が展示される予定である<ref>[https://trafficnews.jp/post/93979 最後の0系「ひかり」先頭車22形7007号車 廃車から吹田で10年以上 現状は?] - 乗りものニュース(2020年2月23日付、同日閲覧)</ref>。
 
== 歴史 ==