「代官頭」の版間の差分

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代官頭のうち、伊奈は[[武蔵国]][[武蔵小室藩|小室]]([[埼玉県]][[伊奈町]])、長谷川は[[相模国]][[浦賀]]([[神奈川県]][[横須賀市]])、彦坂は相模国[[岡津陣屋|岡津]](神奈川県[[横浜市]][[泉区 (横浜市)|泉区]])、大久保は武蔵国横山([[東京都]][[八王子市]])に[[陣屋]]を設け、徳川氏の本拠である[[江戸城]]を半円状に取り囲む形で配置され、更に武田・今川・[[後北条氏|北条]]各氏の旧臣からなる小代官・[[手代]]を各地の小陣屋に派遣して[[郡]]・[[領]]単位の支配を行わせた。江戸幕府成立後、[[佐渡国]]・[[石見国]]などの鉱山経営にも関与するようになる。
 
だが、[[慶長]]9年([[1604年]])に長谷川が病死、慶長11年([[1606年]])に彦坂が失脚し、慶長12年([[1607年]])に徳川家康の[[隠居]]に伴って、伊奈忠次は江戸城の[[徳川秀忠|秀忠]]、大久保長安は[[駿府城]]の家康に近侍するようになると、その性格は大きく変わることになる。慶長15年([[1610年]])に伊奈忠次が病死し、慶長18年([[1613年]])、年寄衆([[老中]])に名前を連ねるに至っていた大久保長安が病死した直後に突如一族・家臣が誅殺されると、代官頭の権力は解体された。わずかに伊奈忠次の子孫が関東代官(「[[関東郡代]]」は自称で史実ではない)して代官頭の職務を縮小する形で存続したものの、それも[[寛政]]4年([[1792年]])に[[改易]]されることで幕を閉じた。
 
== その他 ==
[[関東代官頭]]とも呼称されることがある。
 
== 関連項目 ==
* [[関東郡代]]
* [[八王子十八人代官]]
 
== 参考文献 ==