「アッピア街道」の版間の差分

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[[File:Via Appia Antica photo-4.JPG|thumb|right|180px|第3マイル付近の[[チェチーラ・メテッラの墓]]]]
[[Image:Via Appia Antica, Rome, 2004.jpg|thumb|right|180px|ローマ近郊、アッピア街道州立公園]]
[[紀元前4世紀|紀元前312年]]当時の[[ケンソル]]であった[[アッピウス・クラウディウス・カエクス]]の要請により[[元老院 (ローマ)|元老院]]の反対のなか、に存在した[[ローマ]]と[[アルバーノ]]丘陵を結んでいた街道を改修、拡大し敷設が始まった。敷石には頑丈な[[ヴェスヴィオ山|ウェスウィウス山]]の[[火山岩]](おもに[[玄武岩]]<ref>[http://www.japanitalytravel.com/back/roma_rekisi/2008_11/11.html 第1回サンピエトリーニ(ローマ石畳考)- Japan-Italy Travel On-Line]</ref>)が用いられた。
 
アッピア旧街道の当初のルートはローマの[[セルウィウス城壁]]出口の一つ[[カペーナ門]]([[カラカラ浴場]]付近)を起点とし、[[アリッチャ]]、アッピウスのフォルム、[[テッラチーナ]]、[[フォンディ]]、[[フォルミア]]、[[ミントゥルノ]](ミントゥルナエ)、[[モンドラゴーネ]](シヌエッサ)、[[カプア|カープア]]までであった<ref>{{Cite book|和書 |author = [[小林登志子]] |year = 2015 |title = 文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ |publisher = [[中央公論新社]] |page = 105 |isbn = 978-4-12-102323-0}}</ref>。
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