「スーパーカセットビジョン」の版間の差分

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そのため、ファミコンブーム(テレビゲームブーム)下でゲーム雑誌が乱立した時期にも関わらず、本機関連記事が取り上げられる雑誌は『[[ゲーマガ#Beep|Beep!]]』([[ソフトバンク]]刊)と『[[ゲームボーイ_(ゲーム雑誌)|ゲームボーイ]]』(マガジンボックス刊)の2誌のみだった。なお、『Beep』誌には特定店でリサーチした毎月のソフト売り上げランキングが毎号掲載されており、『ドラゴンボール ドラゴン大秘境』は発売後、ほぼ不動の一位を守り続けた。これはドラゴンボールの原作人気もあるが、他のソフトがあまり売れていなかった時期という実情もある。
 
本機のスペックは1984年当時のファミコン以外の競合機に比べればまだ順当な範疇ではあったが、いずれにせよファミコンが群を抜く高性能という状況には変わりなかった。結果的に本機はファミコンよりも1年ほど新しい機種でありながらファミコンと比べれば全体的な潜在能力い部類で対等な勝負が特にBG画面やBGM演奏の機能きるかは不透明な状況だていが、発売当初こそファミコンもまだ背景は単一色が当たり前でプレー中BGMもまだ無いものが多かった時代<ref group="注">1984年夏時点でファミコンまだ[[ドンキーコングシリーズ]]、初代[[マリオブラザーズ]]、[[ピンボール (任天堂)|ピンボール]]あたりが売れ筋だった頃で、[[ギャラクシアン]]や[[ロードランナー]]などでサードパーティの参入がようやく始まったタイミングである。すなわち背景は単一色が当たり前で、プレー中のBGMもまだ無いものが主流</ref>だった時代でため、そうした欠点は、少目立たくとかった時点ユーザー目線で、発売後次第にその性能差はあれどもまだそれほど大きが目に付くように差を見出せる状況では無かっていった。またしかしこの頃から[[ディスカウントショップストア]]が注目されるようになり、定価は同等ながらも品薄なファミコンに比べて(総合的な)性能の劣る本機やSG-1000(II)が安価に売られやすい傾向が生じ、発売後は次第にファミコンよりも下位機のような扱いになっていくことで一定の存在意義を維持する形になった。また玩具メーカーであるエポック社のゲームは低齢向けやファミリー向けの傾向があり、コンセプトからしてファミコンと競合していたことも向かい風だったが、結果的にスーパーカセットビジョンはファミコンが品薄のときに代用品として「よく売れた」<ref name="famitsu" />と言われる。しかし逆を言えば当然ながらファミコンはそれを数段上回るペースで普及していったということに他ならない。その後すぐにカセットのROM容量が増大してファミコンがその高い性能を充分に発揮できるようになると、相対的に本機はその性能の限界を露呈する形となり、状況は一変する。1985年後半になると、ファミコンでは500万本以上を売り上げ社会現象を発生させ、決定的なキラーソフトとなった[[スーパーマリオブラザーズ]]が登場して急速にシェアが拡大。ファミコン本体も供給体制が整い潤沢に出回ることで代替機としての需要も低下していたところへ、さらに本機とともに業界2番手を競っていたセガからはファミコンに匹敵する高性能機[[セガ・マークIII]]が登場したためスーパーカセットビジョンは劣勢に立たされた。特にゲーム機としての重要な機能であるBG画面とBGM性能の面ではまともに追従できず、比較的早い段階で陳腐化が始まる形になった。
 
エポック社も巻き返し策として