「イタリア首都近郊管区 (古代ローマ)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
新しいページ: 「File:Italia Dioceses in 400 AD.png|right|thumb|400年頃の{{仮リンク|イタリア道長官|en|prefettura del pretorio d'Italia}}管轄区内の{{仮…」
タグ: カテゴリを含まない記事の作成
 
4行目:
それは中南部イタリアを含み、管区代官のうちもっとも高位の代官であり、管区の首都[[ローマ]]に居住する ''{{仮リンク|首都ローマ管区代官|it|vicarius urbis Romae}}''によって統治された。
 
== 細分化と歴史 ==
[[コンスタンティヌス1世]]により、''{{仮リンク|イタリア管区|it|dioecesis Italiciana}}''は{{仮リンク|管区代官|en|Vicarius}}により管轄される二つの行政区(イタリア首都近郊管区と{{仮リンク|イタリア食料供給管区|it|Italia Annonaria}}に分割された.<ref name=Treccani>Cfr. {{Treccani|la-riorganizzazione-amministrativa-dell-italia-costantino-roma-il-senato-e-gli-equilibri-dell-italia-romana_%28Enciclopedia-Costantiniana%29/|La riorganizzazione amministrativa dell'Italia. Costantino, Roma, il Senato e gli equilibri dell'Italia romana}}</ref> [[ヴェローナ・リスト]]や[[ノティティア・ディグニタートゥム]]のような同時代史料ではイタリア管区は[[デ・ジュリ|法令上]]では単一であり続けているが、実際にはイタリア管区(dioecesis)は二つの管区(vicariati)に分割されていた<ref>[[#Giovanni]]p. 136.</ref> しかし、イタリア食料供給管区とイタリア首都近郊管区は一人の管区代官(vicarius)により支配されていた。この管区代官は、管区代官の中でもっとも高い文官職だった。事実上dioceseであるために、しばしば不適切ではあるが(正式な名称がvicariusであるにも関わらず)dioceseと呼ばれた。