「ノート:東ローマ帝国」の版間の差分

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もし「中世ローマ帝国」の項を残すのであれば、この名称が十分に一般に普及しているというエビデンスを頂けないでしょうか。--[[特別:投稿記録/180.15.63.99|180.15.63.99]] 2019年9月10日 (火) 05:26 (UTC)
:1月経ってエビデンスの提示を頂けなかったので、一旦削除します。記載を復帰させたい場合は、本文を編集する前にまずはノートでエビデンスを提示ください。--[[特別:投稿記録/114.159.15.203|114.159.15.203]] 2019年10月9日 (水) 15:04 (UTC)
::(この件について初めて発言する者です。過去ログでのやりとりについては把握していません)2018年にビザンツ研究者の大月康弘氏が[http://id.nii.ac.jp/1109/00005198/ 「中世ローマ帝国の社会経済システム : 再分配国家と市場の役割 (経済研究所創設30周年記念号) 」]という論文を発表しており、また中世ドイツ研究者の三佐川亮宏氏も2013年の著書のあとがきで「中世ローマ帝国」(ただし彼の場合神聖ローマ帝国を意味している)を利用していることがわかりました。この用語は一般には普及しているとは言えませんが、現在第一線の学者の中で例外的とはいえ用いている人がいるため、脚注にて「中世ローマ帝国」の用例を紹介する記載を追加しました。項目を立てる必要などはまったくないと思いますが、この記事がビザンツ帝国に関する用語事典であり、実際に近年の論文のタイトルに用いてしまう現役のビザンツ学者がいる以上、「中世ローマ帝国」の用例に関する位置づけ的な案内は、用語事典である以上必要であると考え、脚注という形で追記させていただきました。問題ないかと思いますが、ご意見があればご指摘ください。--[[利用者:German Romanist|German Romanist]]([[利用者‐会話:German Romanist|会話]]) 2020年3月1日 (日) 13:30 (UTC)
 
== 2019年9月16日 (月) 00:23‎ 126.9.39.97 の追加について ==
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