「石井貞興」の版間の差分

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明治10年([[1877年]])、[[西南戦争]]の勃発に際し、旧[[薩摩藩]]軍に身を投じ、伝令として[[西郷隆盛]]や桐野を補佐する。
 
西郷軍が[[熊本城]]攻略に失敗して以降の同年[[4月28日]]に行われた西郷軍再編成では、飫肥隊の[[小倉処平]]とともに[[野村忍介]]が隊長を勤める[[西郷軍奇兵隊]]の本営付となり、[[7月10日]]には小倉処平や[[佐藤三二]]とともに西郷軍奇兵隊総軍に任じられた。
 
西郷軍は明治10年(1877年)[[8月15日]]の[[和田越え|和田越]]の決戦で敗北し、翌[[8月16日]]に西郷軍解軍の令が出される。西郷軍解軍の令を出したものの、西郷隆盛と桐野利秋ら政府軍に投降しなかった者は[[8月17日]]夜に[[可愛岳]]突囲を敢行した。石井も[[筑前国]]の吉田震太郎とともに西郷の後を追うも深壑に転落して負傷し、西郷や桐野らとの合流に失敗した。このために石井は渓中に潜伏していたものの、[[9月5日]]に[[熊本県]]深津村の山中で、官憲に逮捕された。