「在独ソ連軍政府」の版間の差分
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在独ソ連軍政府の公式的地位は、[[1945年]][[6月9日]]の在独ソ連軍最高司令官命令第1号によって定められた。すでに1944年9月12日のロンドン会議で米・英・ソ三国による占領統治が決定され{{sfn|宮崎繁樹|1992|pp=68}}、[[ヤルタ会談]]では米英ソにフランスを加えた4カ国による分割占領が決定されていた{{sfn|宮崎繁樹|1992|pp=68}}。各占領地域を統括する{{仮リンク|占領国|de|Besatzungsmacht}}は、大戦末期の占領開始時期から、それぞれ独自の[[占領統治]]を敷いていた。SMADは、[[ソビエト連邦人民委員会議|人民委員会議]]と[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の直接支配下にあった<ref>Martin Broszat, Gerhard Braas, Hermann Weber: ''SBZ-Handbuch'', 1993, ISBN 3-486-55262-7, S. 39.</ref>。
SMADの組織構成は、内容的にも地政学的にも、[[ソ連占領地域]]の行政機構に対応していた。{{仮リンク|ベルリン・カールスホルスト|de|Berlin-Karlshorst}}にある中央局だけでなく、地方(
SMADは、[[1945年]]から[[1949年]]までにドイツの行政に対して多数の命令を書面で出している。しかし口頭での文書化されない命令やコメントなどの非公式な水準や、目に見えないソ連の影響力によっても統治していた。
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