「具志堅用高」の版間の差分

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* 『世界戦の前日、[[ボブ・マーリー]]と喧嘩し、後に意気投合し、翌日の世界戦に招待した』、というエピソードがWikipediaの記事として載ったが、そのことを本人にインタビューした際、「ボブ・マーリーって誰?僕は誰とも喧嘩なんてしたことないよ」と、否定している<ref>[http://www.beerbreak.jp/mt/archives/2009/01/post_154.html 特集 リッチのすすめ。2] オリオンびあぶれいく</ref>。
* 現役時代、[[TBSテレビ|TBS]]の歌番組『[[ザ・ベストテン]]』にゲスト出演。[[CHAGE and ASKA|チャゲ&飛鳥]]の[[ASKA|飛鳥涼]]と[[パンチングマシン]]対決で負け、再挑戦するもまた負けてしまった。
* 14度目の世界王座防衛戦で敗れた理由として、計量クリア後の褒美となっていたアイスクリームを食べることができず、そのことが頭に引っかかっていたからと[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[いつみても波瀾万丈]]』で語っている。『[[ダウンタウンDX]]』では、「あの時アイスクリームを食べていれば、20回は防衛できた」とも発言している。『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』<ref>『文藝春秋』2013年9月号P289</ref>に本人が綴ったエピソードの中で、当時は計量後に、ステーキ250g、スッポンの生血、鰻を食べ、最後に必ずアイスクリームを食べることにしていたと書いている。そして、その14回目の王座防衛に失敗した時は、普段は来ない金平会長がやってきて「沖縄は暑いから(すぐに溶けてしまう)」とアイスクリームを取り上げたということ。具志堅本人は、これを「アイスクリーム事件」といって、ショックだったと書いている。「あの時にアイスが食べれたら、勝っていた」と語っている。
* 具志堅を事実上引退に追い込んだ[[ペドロ・フローレス]](現在は[[メキシコ]]でボクシングジムを開いている)とは1997年に[[テレビ朝日]]で放送された『[[ザ・スーパーサンデー]]・あの人は今』の企画で再会し、1ラウンドだけだったがペドロのジム内リングで“リターンマッチ”を行っている。
* 協栄ジムの金平正紀前会長が広島出身で、[[広島東洋カープ]]の後援会員だった関係で、毎年、会長とカープの日南キャンプに行っていたことから、カープの選手、特に[[山本浩二]]と仲良しになる<ref name="gendai">[http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/151817/1 今だから語れる 具志堅用高の華麗なる「飲み仲間」遍歴]、[http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/151817/2 p=2]、[http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/151817/3 p=3]</ref><ref name="具志堅伝説">[[デイリースポーツ]]連載『具志堅伝説 人生ちょっちゅね㊼』2011年4月6日</ref>。現役時代はお酒は飲んでいなかったが、引退後、山本の行きつけだった[[六本木]]の[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]に出入りしてお酒を飲み始め、ここで[[星野仙一]]や[[田淵幸一]]、[[東尾修]]ら野球選手、[[ビートたけし]]や[[高田文夫]]、[[片岡鶴太郎]]ら芸能人との付き合いが始まり、その後のタレント活動につなげた<ref name="gendai"/><ref name="具志堅伝説"/>。