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天然痘が強い[[免疫]]性を持つことは、近代[[医学]]の成立以前から経験的に古くから知られ、[[紀元前]]1000年頃には、[[インド]]で[[人痘法]]が実践され、<ref>天然痘の予防[http://www.news-medical.net/health/Smallpox-Prevention-%28Japanese%29.aspx]</ref>天然痘患者の[[膿]]を健康人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法が行なわれていた。この場合、膿を乾燥させてある程度弱毒化させたのちに行われることが普通であった。この人痘法は[[18世紀]]前半に[[イギリス]]、次いで[[アメリカ合衆国]]にももたらされ、天然痘の予防に大いに役だった。しかし、軽度とはいえ実際に天然痘に感染させるため、時には治らずに命を落とす例もあった。統計では、[[予防接種]]を受けた者の内、2パーセントほどが死亡しており、安全性に問題があった。
 
[[18世紀]]半ば以降、[[ウシ]]の病気である[[牛痘]](人間も罹患するが、瘢痕も残らず軽度で済む)にかかった者は天然痘に罹患しないことがわかってきた。その事実に注目し、研究した[[エドワード・ジェンナー]] (Edward Jenner) が[[1796年]]、8歳の少年に牛痘の膿を接種させた後に天然痘の膿を接種させ、発病しないことを突き止めた。(なお、ジェンナーが「我が子に接種」して効果を実証したとする逸話があるが、実際にはジェンナーの使用人の子に接種した。<ref>[https://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/11/sc11_4.pdf 『ジェンナーは本当に自分の子どもで実験したのか』森田保久]</ref>)これによって人類初の[[ワクチン]]である天然痘ワクチンが開発され、この牛痘接種([[種痘]])によって天然痘を予防する道が開かれた。この方法をジェンナーは論文にして[[王立協会]]に送付したものの無視されたため、[[1798年]]に『牛痘の原因と効果についての研究』を刊行し、種痘法を広く公表した<ref>『医学の歴史』pp221 梶田昭 [[講談社]] 2003年9月10日第1刷</ref>。医学界の一部からの反対は根強く残ったものの、牛痘の接種はそれまでの天然痘の直接接種に比べはるかに安全性が高いうえ効果も劣るものではなかったため、この方法は[[イギリス]]のみならずヨーロッパに瞬く間に広まり、以後この方法が主流となった。その後1930年代以降の研究で種痘に用いられているウイルスは[[ワクシニアウイルス|ワクチニアウイルス]]というウイルスであり天然痘ウイルスとも牛痘ウイルスとも違うことが判明しワクチニアウイルスの由来は一体何か様々な研究がなされてきた。この中で牛痘ウイルスが継代されていく間に変異しワクチニアウイルスとなったと考えられていた時期もあったが、2013年モンゴルで採取された馬痘ウイルスのゲノム解析をした結果、種痘に用いられているワクチニアウイルスと馬痘ウイルスが99.7%同一のゲノムであることが判明しワクチニアウイルスとは馬痘ウイルスもしくはその近縁のウイルスである事がわかった。つまりジェンナーの種痘は牛痘ウイルスではなく馬痘ウイルスがたまたま牛に感染したものを種痘として利用したものであり種痘には一度も牛痘ウイルスは使用されていなかったことになる。<ref>Damaso, C.: Revisiting Jenner’s mysteries, the role of the Beaugency lumph in the evolutionary path of ancient smallpox vaccines. Lancet Infect. Dis., August 18, 2017.</ref>
 
この伝播は急速なもので、ジェンナーの論文は発行翌年の[[1799年]]には[[ウィーン]]で[[ラテン語]]に、[[ハノーファー]]で[[ドイツ語]]に翻訳され、翌[[1800年]]には[[フランス語]]と[[イタリア語]]、[[1801年]]には[[オランダ語]]と[[スペイン語]]、[[1803年]]には[[ポルトガル語]]に翻訳された。痘苗もほぼ同時に各国に到達し、1800年には[[フランス]]や[[ドイツ]]諸邦、スペイン、そしてアメリカで、1801年には[[ロシア帝国|ロシア]]、[[オランダ]]、[[デンマーク]]、[[スウェーデン]]で種痘が開始された<ref>『近代医学の先駆者 ハンターとジェンナー』p117-122 山内一也 岩波書店 2015年1月20日第1刷</ref>。1805年には[[ナポレオン]]が、全軍に種痘を命じた<ref>Harry Wain, ''A History of Preventive Medicine'', Springfield, Illinois, 1970, pp.177, 185, 195.</ref>。さらにスペインは1802年に遠隔地のスペイン領に痘苗をもたらす航海計画を実施し、これによって[[ラテンアメリカ]]や[[フィリピン]]など多くの地域に痘苗がもたらされた。安全性の高く確実な予防方法が確立したことで、それ以降は天然痘の流行は徐々に消失していった。また、この種痘の開発はワクチンおよび[[予防接種]]という疫病への強力な対抗手段を人類にもたらすきっかけとなった。