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高校卒業後、[[フリーター]]をしながら脚本を学ぶ。[[1987年]]、第1回[[フジテレビヤングシナリオ大賞]]を19歳で受賞しデビュー。同時期に[[ディレクターズ・カンパニー]]が行っていた脚本募集にも応募していたが、そちらでは採用されなかったためテレビの道に進んだ<ref name=yahoo1809 />。上京し、テレビ局のアシスタントをしながら脚本の腕を磨いた。
 
[[1991年]]、『[[東京ラブストーリー#テレビドラマ|東京ラブストーリー]]』が大ヒットし、最高視聴率は32%。「[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月曜日の夜9時]]は街から女性(もしくはOL)たちが消えた」と言われるほどの社会現象となる。[[ラブストーリー]]の脚本の依頼が次々舞い込むようになり、20代の若さで後の[[北川悦吏子]]などの源流となる[[トレンディドラマ]]の旗手として、脚光を浴びた。[[伊藤ちひろ]]と共に映画『[[世界の中心で、愛を叫ぶ]]』などの脚本に関わり後の世のシリアス系ラブロマンスの定跡にも影響を与えている。また、[[織田裕二]]、[[松たか子]]、[[小室哲哉]]などの楽曲の作詞も手掛けた。
 
「明らかにテレビが嫌で逃亡した」との理由で脚本家休養を宣言し、一度テレビ界から離れる。当初は[[飯野賢治]]率いる株式会社ワープでゲーム関連の仕事に携わり、『[[リアルサウンド ~風のリグレット~]]』などのシナリオを手掛け、[[1998年]]に同社を退社。小説家への転向を試みるが、3年間一つの小説をずっと書き続け原稿用紙2000枚ほどの分量になるも未完成のままに終わり、発表には至っていない<ref name=yahoo1809>[https://news.yahoo.co.jp/feature/1093 「テレビからこぼれているものを書きたい」――人気脚本家・坂元裕二が語る連ドラの役割] - Yahoo!Japanニュース・2018年9月23日</ref>。『[[きらきらひかる (漫画)|きらきらひかる]]』のドラマ版(脚本は[[井上由美子 (脚本家)|井上由美子]])を見たことで再びテレビ界への興味がわき脚本家に復帰した<ref name=yahoo1809 />。この休養期間中に、森口瑤子との結婚や、長女の誕生を経験した。妻は女優業を続けていたため、家で執筆をしながら[[育児]]を担当する[[主夫]]生活を送るようになったことが転機となった。テレビ復帰作となったのは[[2002年]]の『[[恋愛偏差値]]』第3章「彼女の嫌いな彼女」から。