「チルボン」の版間の差分

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[[16世紀]]初頭、ジャワ島やバリ島にあるすべての[[ヒンドゥー教]]の[[聖地]]を訪ねたスンダ人の[[ヒンドゥー]]僧侶[[ブジャンガ・マニク王子]]([[:en:Prince Bujangga Manik|en]])の旅行記には、チルボンは[[スンダ王国]]の一部であると記されている。現在、[[イギリス]]、[[オクスフォード大学]]の[[ボードリアン図書館]]に[[16世紀]]以来保管されている彼の[[貝葉]]には、スンダ王国の西の国境は[[スンダ海峡]]であり、東は[[パマリ河]](現在のブレーブス河)と中央ジャワ州のスラユ河であると記されている。
 
ヨーロッパ人の[[{{仮リンク|トメ・ピレス]]|en|Tomé Pires|pt|Tomé Pires}}の記録も残っており、それによると、スンダ人の港は「チマノ」だった。マヌク河は、直接都市を通るわけではないが、チレボン地域を流れている。事実、この河は、インドラマユを通っている。
 
この都市における植民地時代の大きな事件は、[[1844年]]に起きた大[[飢饉]]だった。これは、[[オランダ政庁]]により[[1830年代]]以降施工された[[強制栽培法]]により、零細農家が換金作物である[[インディゴ]]や[[サトウキビ]]生産に携わるようになった為に引き起こされたと考えられている。
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