「1925年栄典濫用防止法」の版間の差分

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=== ロイド・ジョージによる栄典濫用 ===
[[ファイル:David_Lloyd_George.jpg|代替文=|サムネイル|261x261px|本法制定の契機となった[[デビッド・ロイド・ジョージ|ロイド・ジョージ]]による栄典濫用。]]
本法の制定経緯は[[デビッド・ロイド・ジョージ]]政権下に生じた叙爵問題を発端とするもので、彼はその首相在任中に94件の新規叙爵、1500件の[[ナイト爵]]授与を行っている<ref name=":0">T. A. Jenkins, "The funding of the Liberal Unionist party and the honours system." ''English Historical Review'' 105.417 (1990): 920-938.</ref>。この行動は元来の慣行や基準を無視したものではあったものの{{#tag:ref|例えば、ロイド・ジョージは慣例を無視して{{仮リンク|ジョン・クライトン=ステュート_(第4代ビュート侯爵)|label=第4代ビュート侯爵ジョン・クライトン=ステュアート|en|John_Crichton-Stuart,_4th_Marquess_of_Bute}}に[[シッスル勲章]]を授与した例が示すように、栄典の慣行を軽んじる傾向があっ。なお、同勲章はこの事件を教訓として、1946年以降の同勲章叙勲はイギリス君主自ら行うことが慣例となっている<ref name="小川(2009)92">[[1925年栄典濫用防止法#小川(2009)|小川(2009)]] p.92</ref>。|group="註釈"}}、処罰法を欠くことから合法であり、ロイド・ジョージ内閣以前も栄典授与件数は増加傾向にあった<ref>Harold J. Hanham, "The sale of honours in late Victorian England." ''Victorian Studies'' 3#3 (1960): 277-289.</ref><ref>[[1925年栄典濫用防止法#水谷(1991)|水谷(1991)]] p.199-202</ref>。
 
しかしながら、ロイド・ジョージ率いる自由党政府は栄典の乱発に留まらず、[[フィクサー|斡旋人]]{{仮リンク2|モーンディ・グレゴリー|en|Maundy_Gregory}}を仲介者として政治資金に等しい謝礼を得ており、ナイト爵は10,000ポンド、[[男爵]]叙爵ならば30,000ポンド、それ以上の爵位については50,000ポンドを一人当たりに要求していた<ref name=":0" /><ref>{{Cite book|last=Rowland|first=Peter|title=Lloyd George|year=1975|publisher=Barrie & Jenkins Ltd|location=London|isbn=0214200493|page=448|chapter=The Man Who Won the War, 1916-1918}}</ref><ref>Peter Rowland, ''Lloyd George'' (1975) p 448.</ref>。こうした栄典濫用ともいえる行為は[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]においても強く非難がなされたほか、ロイド・ジョージ自身も1922年半ばに政治的支持を急速に失ってゆき、総辞職に追い込まれている <ref>{{Cite book|last=Travis L. Crosby|title=The Unknown David Lloyd George: A Statesman in Conflict|url=https://books.google.com/books?id=MIW9AgAAQBAJ&pg=PA330|year=2014|publisher=I.B.Tauris|page=330}}</ref><ref name="水谷(1991)205">[[1925年栄典濫用防止法#水谷(1991)|水谷(1991)]] p.205</ref>。