「朝鮮銀行」の版間の差分

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== 戦後 ==
[[ファイル:Bank_of_Korea_20070103.jpg|right|250px|thumb|現在は韓国銀行貨幣金融博物館となっている[[ソウル特別市|ソウル]]の旧朝鮮銀行本館。[[辰野金吾]]・[[中村與資平]]設計、ソウル特別市中区[[南大門]]路<ref>konest,2012.8.3閲覧、http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=1963</ref>、<ref>seoulnavi,2012.8.3閲覧、http://www.seoulnavi.com/miru/23/</ref>]]
[[日本の敗戦]]後、[[1945年]]9月末をもって最後の日本人総裁[[田中鉄三郎]]は解任され、後任にはアメリカ合衆国軍政部のローランド・スミス海軍少佐が就任して米軍の管理下に置かれたが、[[1950年]]に[[韓国銀行]]が創設されるまでの期間、38度線以南の地域で中央銀行および商業銀行としての業務を継続し、{{仮リンク|圓 (1945年-1953年)|label=圓([[大韓民国ウォン)|ko|대한민국 원 (1945년-1953년)}}圓]]紙幣を発行した。{{main|大韓民国ウォン#旧ウォン}}
 
この間の1947年(昭和22年)、朝鮮銀行は[[第二次世界大戦台湾銀行]]後、など他の植民地中央銀行とともに[[閉鎖機関]]に指定され日本法的には解散状態となった。朝鮮にあった資産は米ソ両軍政府が接収し、接収解除後に、[[大蔵大臣]]が[[清算人]]を選任し、朝鮮銀行法により[[清算]]を行う事となっていた。のちにその一部は[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]の中央銀行である[[韓国銀行]]・[[朝鮮中央銀行]]に払い下げされた。また日本国内の残余資産により設立された銀行が日本不動産銀行(後の[[日本債券信用銀行]]、現[[あおぞら銀行]])である。{{main|日本債券信用銀行#旧朝鮮銀行の国内残余資産で設立|閉鎖機関#概要}}
米韓の軍政委譲協定により朝鮮銀行が韓国政府に委譲され、[[1950年]]6月5日に朝鮮銀行の資産負債を継承した[[韓国銀行]]が発足して韓国銀行券発行の準備にかかったが、直後の6月25日に[[朝鮮人民軍]]が宣戦布告なしに南進し[[朝鮮戦争]]が勃発した。韓国銀行では本店地下金庫の金塊と銀塊および総裁ら幹部職員は脱出させたが、6月28日には[[ソウル特別市]]が陥落し、韓国銀行券発行までの経過措置として発行・保管していた多額の朝鮮銀行券と印刷原版が北朝鮮に奪われた。北朝鮮は奪取した朝鮮銀行券のほか、原版で不法発行した銀行券を乱発し、物資調達と経済攪乱工作を進めた。これに対抗するため、韓国側は一刻も早く韓国銀行券を発行して朝鮮銀行券の通用を禁止する必要に迫られたが、戦乱下の韓国では新券発行が不可能だったため、[[GHQ]]の命令で日本の[[大蔵省]][[印刷局]](当時は外局の印刷庁)が1950年7月から1951年3月末にかけて韓国銀行券8億4200万枚を製造・納入した。北朝鮮による朝鮮銀行券の不法発行は全流通額の3%程度と推測されるが、[[仁川上陸作戦]]で仁川、ソウルが奪還されると、同行していた韓国銀行先発隊が日本で製造された韓国銀行券と朝鮮銀行券の通貨交換を進めて朝鮮銀行券の流通を禁止し、北朝鮮の経済攪乱工作による被害を最小限に食い止めた<ref>多田井喜生『朝鮮銀行 <small>ある円通貨圏の興亡</small>』(PHP新書、2002年)P246~257</ref>。
 
米韓の軍政委譲協定により朝鮮銀行が韓国政府に委譲され、[[1950年]]6月5日に朝鮮銀行の資産負債を継承した[[韓国銀行]]が発足して韓国銀行券発行の準備にかかったが、直後の6月25日に[[朝鮮人民軍]]が宣戦布告なしに南進し[[朝鮮戦争]]が勃発した。韓国銀行では本店地下金庫の金塊と銀塊および総裁ら幹部職員は脱出させたが、6月28日には[[ソウル特別市]]が陥落し、韓国銀行券発行までの経過措置として発行・保管していた多額の朝鮮銀行券と印刷原版が北朝鮮に奪われた。北朝鮮は奪取した朝鮮銀行券のほか、原版で不法発行した銀行券を乱発し、物資調達と経済攪乱工作を進めた。これに対抗するため、韓国側は一刻も早く韓国銀行券を発行して朝鮮銀行券の通用を禁止する必要に迫られたが、戦乱下の韓国では新券発行が不可能だったため、[[GHQ]]の命令で日本の[[大蔵省]][[印刷局]](当時は外局の印刷庁)が1950年7月から1951年3月末にかけて韓国銀行券8億4200万枚を製造・納入した。北朝鮮による朝鮮銀行券の不法発行は全流通額の3%程度と推測されるが、[[仁川上陸作戦]]で仁川、ソウルが奪還されると、同行していた韓国銀行先発隊が日本で製造された韓国銀行券と朝鮮銀行券の通貨交換を進めて朝鮮銀行券の流通を禁止し、北朝鮮の経済攪乱工作による被害を最小限に食い止めた<ref>多田井喜生『朝鮮銀行 <small>ある円通貨圏の興亡</small>』(PHP新書、2002年)P246~257</ref>。{{see also|ソウル会戦 (第一次)#ソウル市街戦と漢江渡河撤退|仁川上陸作戦#上陸後}}
[[第二次世界大戦]]後、[[閉鎖機関]]に指定され解散した。朝鮮にあった資産は米ソ両軍政府が接収し、のちにその一部は[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]の中央銀行である[[韓国銀行]]・[[朝鮮中央銀行]]に払い下げされた。また日本国内の残余資産により設立された銀行が日本不動産銀行(後の[[日本債券信用銀行]]、現:[[あおぞら銀行]])である。
 
[[1957年]]([[昭和]]32年)[[2月11日]]付で当社の株式の店頭売買が廃止となった<ref name="stockprices-history-20-yearbook-1958">『株価20年 昭和33年版』 [[東洋経済新報社]]、1958年3月13日。</ref>。同年3月18日付で清算結了し、7月には大蔵大臣の承認を得て、法人格が完全に消滅した
朝鮮の[[資産]]は、未だ閉鎖機関朝鮮銀行の資産であり、接収解除後に、[[財務大臣]]が[[清算人]]を選任し、朝鮮銀行法により[[清算]]を行う事となっている。
 
[[1957年]]([[昭和]]32年)[[2月11日]]に当社の株式の店頭売買が廃止となった<ref name="stockprices-history-20-yearbook-1958">『株価20年 昭和33年版』 [[東洋経済新報社]]、1958年3月13日。</ref>。
 
なお、戦後に[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]によって設立された[[朝銀信用組合]]・在日韓国人によって設立された[[商銀信用組合]](いずれも[[信用組合]])との関係性は無い。