「石那坂の戦い」の版間の差分

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== 戦後 ==
合戦に功のあった常陸入道念西は[[伊達郡]]を与えられ、子孫は[[伊達氏]]を称するようになる。一方、敗れた佐藤氏であるが、『[[吾妻鏡]]』10月2日条で囚人佐藤庄司が許されて所領へ戻ったという記述がある。前述のように佐藤庄司は戦いで討ち取られて阿津賀志山([[厚樫山]])経岡に晒されたともあり、どちらが正しいのか、あるいはこれらの佐藤庄司が同一人物でないのかなどを含めてよくわからない。ただ、佐藤氏はその後も[[信夫郡]]北部を領有しており、完全に滅亡したわけではないことは確実である。なお、佐藤氏は[[室町時代]]初頭に将軍[[足利尊氏]]より[[伊勢国]][[一志郡]]を与えられてそこに本拠を移した。
 
== 関連項目 ==
 
[[Category:鎌倉時代|いしなさかのたたかい]]
[[Category:日本の戦い|いしなさかのたたかい]]
[[Category:福島県の歴史|いしなさかのたたかい]]
[[Category:福島市|いしなさかのたたかい]]
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