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発展したテノチティトランでは1372年に最初の支配者で、コルワカンの領主の娘(生贄になった人物とは別)を母とする[[アカマピチトリ]]が即位した。その子の[[ウィツィリウィトル]]はテソソモクの娘と結婚し、第3代支配者となる[[チマルポポカ]]が生まれた。ウィツィリウィトルはまた[[クエルナバカ|クァウナワク]]の支配者の娘と結婚して第5代支配者となる[[モテクソマ1世]]が生まれた<ref>Smith (1996) pp.47-48</ref><ref name="ency"/>。
 
テパネカでテソソモクが没すると後継者争いがおきた。チマルポポカは争いにまきこまれて殺され、ウィツィリウィトルの弟の[[イツコアトル]]がその後をついだ。テパネカで新たに即位した[[マシュトラ]]に対して、メシカ(テノチティトラン)、アコルワ(テスココ)、ウェショツィンカ、およびテパネカの反マシュトラ勢力([[トラコパン]])が1428年に同盟してアスカポツァルコのテパネカを破った。ウェショツィンカを除く3つの集団はその後も同盟を保ち、征服地からの貢納品はテノチティトラン:2、テスココ:2、トラコパン:1の割合で分けることに決められた。これがアステカ三国同盟、すなわちアステカ帝国である<ref>Smith (1996) pp.49-50</ref>。帝国が拡大するにつれて、三国同盟のうちテノチティトランの比重が時とともに高まっていき、実質上メシカ帝国になっていった<ref>Smith (1996) p.51</ref>(以下の歴史は[[アステカ]]を参照)。
 
== 脚注 ==