「薬師寺保栄」の版間の差分
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デビュー当時は「打ってはすぐに退いてしまう」スタイルから「臆病者」と称された。デビュー6戦目までの戦績は3勝(1KO)2敗1分と平凡なもので、中日本フライ級新人王こそ獲得したものの、周囲からは「将来、世界どころか日本王者にすらなれない」と酷評されていた。
[[1989年]]、[[成人式]]の1月15日に[[暴走族]]時代の後輩達と並走しているところを[[愛知県警察]]に発覚し、3月1日[[道交法]]違反([[共同危険行為]])で[[通常逮捕]]され16日間[[勾留]]された。[[日本ボクシングコミッション]]から6か月間の対外試合禁止処分を受けたが、その間に東南アジアに遠征し
[[1990年]]6月、[[北海道]]で[[米坂淳]]と対戦。最終10回にKO勝ちを収めるも、試合後に米坂が意識不明の重体に陥り、数日後に死亡。対戦相手の生命を奪ってしまった罪悪感から一時は引退も考えたが、「彼の分まで、という考えはなかったけれど、このままオレがダメになったら、もっとダメだし…<ref>ニッカンスポーツブログ 「スポーツ王国日本 歴史を作った者たち」 http://blog.nikkansports.com/sports/legend/2008/01/post_1.html より。</ref>」とリングに上がり続けることを決意(ちなみにその後、度々米坂のお墓参りをしている模様で、後に獲得することになる[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界バンタム級のチャンピオンベルトをお墓に手向け手を合わせている様子がテレビで放映されたこともあった)。
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