「グローバル・レスリング連盟」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
2400:4060:3E7:5D00:299E:B75A:778B:410 (会話) による ID:76631843 の版を取り消し タグ: 取り消し |
2400:4060:3E7:5D00:B191:D296:2F0A:249A (会話) による ID:76546980 の版を取り消し タグ: 取り消し |
||
2行目:
== 経緯 ==
[[2000年代]]
このことから[[2006年]]8月、[[ZERO1|プロレスリングZERO1-MAX]](現:プロレスリングZERO1)を運営していた[[ファースト・オン・ステージ]]
こうして[[9月12日]]、グローバル・レスリング連盟(以下「GPWA」)は正式に発足。会長には[[三沢光晴]]ノア社長が就き、事務局長は中村が務めることとなった。また理事は各加盟団体の所属選手の持ち回りとなり、活動資金は加盟団体から出資するわけではなく、GPWA独自で興行などを開き、その利益をプールする形となった。同時に正式な本部の場所が決まるまでの間、ファースト・オン・ステージ事務所を本部とすることも発表された。
かつて[[日本プロスポーツ協会]]([[日本相撲協会|大相撲]]、[[日本プロボクシング協会|プロボクシング]]、[[日本野球機構|プロ野球]]、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]など日本を代表するプロスポーツ連盟、協会が加盟している)に加盟していたプロレス界であったが、2000年代に新日本プロレスと全日本プロレスが脱退してからは加盟団体が無く、プロレス界は孤立してしまっていた。このことを憂い、プロレス界を総括する連盟の必要性を訴えてきた[[馳浩]]はGPWAの設立を歓迎しており、三沢、中村、仲田と話し合って陰ながら支援していくことを表明していた。▼
GPWAは、その設立意義からも、将来的にはプロレス界のコミッションとして活動することが目標となっており、プロレス界念願であった統一機構をGPWAが担うことになるのでは、という意見も多かった。
[[2006年]][[11月14日]]、[[後楽園ホール]]で「[[GPWA第1回興行]]」を開催。中継権を得た[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[日テレジータス|日テレG+]]で生中継された。地上波でも深夜に放送された。興行は主に各プロレス団体の提供試合をはじめ、各プロレス団体が推している若手選手を中心にしたカードが2組から3組まれており、次世代選手をプッシュすることが大きな要素となっていた。▼
▲かつては[[日本プロスポーツ協会]]([[日本相撲協会|大相撲]]、[[日本プロボクシング協会|プロボクシング]]、[[日本野球機構|プロ野球]]、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]など日本を代表するプロスポーツ連盟、協会が加盟している)に加盟していたプロレス界であったが、[[2000年代]]に新日本
▲[[
[[2009年]][[6月13日]]、三沢が試合中による事故で死去。GPWAは会長人事について一切発表していない。中村は各プロレス団体が連盟の活動に手が回らなくなった事などが原因と語っている<ref>「[[kamipro]] No.137」[[エンターブレイン]] 2009年7月23日発行</ref>。▼
[[2007年]][[5月5日]]から2日間、[[ディファ有明]]に於いて「[[ディファフェスタ]]」を開催して、その中で第3回「[[ディファカップ]]」が敢行された。
以降は連盟としての活動は一切、発表されていない。各プロレス団体、選手がGPWAの加盟、非加盟に囚われない交流を進めている事からその機能は形骸化している。さらに[[2009年]]3月、新日本、全日本、ノアの3団体が共通ライセンス構想について会談を行い合意し、三沢光晴の試合中の事故死を契機としてGPWAとは別に統一機構の設立を目指しており、その存在は有名無実化している。なお、三沢の死後もGPWAの会長人事については一切発表されていない。
▲加盟団体の1つだった[[
== 事業内容 ==
|