「陶邑窯跡群」の版間の差分

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ところで、窯址の呼名として、そのそれぞれに、「高蔵寺○号窯(TK○)」、「陶器山○号窯(MT○)」といった正式名称があるのにもかかわらず、ローマ字表記の略称が優先して使用されていることには批判がある。こういったローマ字表記の略称は本来、研究機関内の出土[[遺物]]の整理作業などの効率をはかる便宜のためのものにすぎず、正式名称に取って代わって使用されるべきではないという意見である<ref>山田(1998)pp.11-12</ref>。しかしながら、このローマ字表記の呼称は1966年(昭和41年)刊行の平安高校(現[[龍谷大学付属平安中学校・高等学校]])考古学クラブによる陶邑窯の初期の調査報告書などに於いて既に使用されており、学界においてはこのローマ字表記の呼称はすっかり定着してしまった観はある(先述の陶邑窯出土の須恵器の編年の大筋もこの報告書のなかで既に示されており、高校のクラブ活動が残した偉業の1つと言える)<ref>田辺、平安学園考古学クラブ(1966)pp.11-79</ref>。また、この際に行った発掘調査で出土した遺物は、現在も龍谷大平安高校が保管している。
 
なお、陶邑窯の編年の基準となった出土資料の一部は泉北ニュータウン内にある[[堺市立泉北すえむら資料館]](旧大阪府立泉北考古資料館]]に収蔵、展示されていたが、後進の堺市立泉北すえむら資料館が[[2016年]](平成28年)[[9)9]]末を持って30日に閉館したため<ref>堺市「[https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/oshirase/suemura_heikan.html 堺市立泉北すえむら資料館は閉館いたしました]」、2020年3月閲覧。</ref>、[[堺市博物館]]で保管されている。
 
==陶邑窯の衰退==
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