「八番相撲」の版間の差分

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== 珍しい例 ==
* [[1984年]]9月場所では、東序ノ口50枚目の佐野([[二所ノ関部屋 (1911-2013)|二所ノ関部屋]])が、13日目の7番相撲を終えて7連敗。更に14日目に組まれた八番相撲でも敗れて「0勝8敗」となった。長らく幕下以下1場所7番制導入以降、'''「1場所で0勝8敗」'''の公式記録を残した唯一のケースであった。
** その後、[[2019年]]3月場所で、西序ノ口15枚目の[[服部桜太志|服部桜]]([[式秀部屋]])が同じく7番相撲まで7連敗の後、千秋楽で八番相撲が組まれて敗れたため「0勝8敗」となり、幕下以下「1場所で0勝8敗」の2人目のケースとなった([[平成]]では初、唯一のケース)。また、服部桜は[[2020年]]3月場所でも序ノ口の地位で八番相撲を取り0勝8敗を記録した。これは[[令和]]では初、また1人の力士が2度記録した初めての例にもなった
* [[1998年]]11月場所では、西幕下筆頭に在位した[[豊桜俊昭|豊桜]]が、初日から休場したものの、7日目から途中出場し13日目を終えて「1勝3敗3休」だった。しかし千秋楽に十両の[[北勝光康仁|北勝光]]との割が組まれ、これに勝ったことで当場所の公式上の成績は「2勝3敗2休」とされ、翌場所の番付編成上も「2勝5敗」と評価された<ref>翌[[1999年]]1月場所の番付は、西幕下4枚目で2勝5敗だった[[玉力道栄来|玉力道]]の東幕下17枚目(12枚半降下)に対し、豊桜は西幕下11枚目(10枚降下)と、豊桜の方が下がり幅が少なかった。仮に豊桜の6日目までの休場が黒星と同等に扱われた場合、当場所の豊桜は「負け越し4点」として評価され、玉力道より下がり幅が多くなるはずである。</ref>。幕下以下1場所7番制導入以降、上述の経緯で幕下上位力士の「1休」が取り消された唯一のケースである<ref>序ノ口では番付外への陥落を回避する力士が13日目から途中出場する傾向があるため、同様に「1休」が取り消されるケースは幕下上位ほど珍しくはない。直近の例としては、[[2015年]]11月場所では、東序ノ口24枚目に在位した北薩摩([[千賀ノ浦部屋]])は、初日から休場して13日目から途中出場したが、13日目・14日目と割が組まれ1勝1敗。公式記録上は「1勝1敗5休」とされ、翌[[2016年]]1月場所の番付では前場所に序ノ口に在位して1勝6敗だった力士と同等に扱われた。</ref>。
* [[2005年]]11月場所では、西幕下4枚目に在位した[[玉ノ国光国|玉光国]]が、13日目の7番相撲を終えて7連敗。15日目に八番相撲が組まれたが、対戦相手は東十両14枚目で14連敗していた[[よう司大|燁司]]だった。幕下の全敗力士に十両力士との八番相撲が組まれ、しかも相手も当場所全敗という、非常に珍しいケースであった。更に燁司が千秋楽の取組前に引退届を提出して、割返しが行われなかったことから、'''玉光国が八番相撲の[[不戦勝 (相撲)|不戦勝]]で勝ち得'''という、類稀なる珍しい事態が発生した<ref>燁司は不戦敗により、十両以上で9例目となる[[負け越し#15戦全敗を経験した力士|15戦全敗]]の成績で現役最後の場所を締めくくった。</ref>。