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=== 柳沢家 ===
将軍[[徳川吉宗]]期の享保9年([[1724年]])、[[享保の改革]]における[[天領|幕府直轄領]]拡大に際して、[[甲斐国]][[甲府藩]]から[[柳沢吉里]]が15万1000石で入る。以降[[明治維新]]まで[[柳沢氏|柳沢家]]6代の支配を経ることになる。2代[[柳沢信鴻|信鴻]]、3代[[柳沢保光|保光]]は名君の誉れ高く、治世の安定、文武の興隆、殖産事業の発展に努めた。[[畿内]]の雄藩として[[京都御所|禁裏]]の守護や[[京都市|京都]]・[[奈良市|奈良]]の防火活動などを行った。[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]では新政府軍に加わり、[[東北地方]]まで転戦した。
 
[[明治]]4年([[1871年]])、[[廃藩置県]]により郡山県となり、のち奈良県、[[奈良府]]、[[堺県]]、大阪府を経て、再び奈良県が分離された。
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==== 家老 ====
*柳沢(郡山藩内3000石・藩主一門)
**柳沢保格 - 里恭(別名柳沢淇園、画人、風流人として知られる) - (略) - 権太夫