「寛永通宝」の版間の差分

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一文銭よりやや大型で、背面に川井家の[[家紋]]である波を描きウコン色に輝くこの銭貨は'''波銭'''(なみせん)とも呼ばれ好評であった。量目は一匁四分(5.2グラム)、規定品位は銅68%、[[亜鉛]]24%、[[鉛]]など8%であった<ref name="Tebiki1998-99">[[#Tebiki1998|貨幣商組合(1998), p99.]]</ref>。発行初年は二十一波のものであったが、鋳造に困難を来したため、翌年([[1769年]])からは簡略化した十一波に変更された<ref>[[#Seihouro1967|青寳楼(1967), p145-146.]]</ref><ref>[[#Ogawa1966|小川(1966), p75-78.]]</ref><ref>[[#Aoyama1982|青山(1982), p145-148.]]</ref>。
 
これが発行された頃から、物の値段に16文、24文など4の倍数が多くなり、1串に5つの団子を5文で売られていたのが、1串4つで4文になったという。また、現代の[[100円ショップ]]に類似したものとして、4文均一の「四文屋」というのもあった。
 
[[文政]]4年([[1821年]])11月からは浅草橋場で四文銭の増産が行われた。このときのものは規定品位が銅75%、亜鉛15%、鉛など10%へ変更となり<ref name="Tebiki1998-99" />、赤みを帯びることから'''赤銭'''(あかせん)と呼ばれる<ref>[[#Seihouro1967|青寳楼(1967), p155-156.]]</ref><ref>[[#Ogawa1966|小川(1966), p78-80.]]</ref>。