「日本の警察官」の版間の差分

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なお、これらの通常装備とは別に、最初期には、有事に備えた兵器も装備されていた。これは[[士族反乱]]などに備えた措置として、1874年2月10日の[[川路利良]]大警視の上申を受けて、陸軍省から小銃7,000挺を借り受けたのを端緒としており、当初は陸軍から派遣された教官により訓練がなされていたが、同年10月4日には、訓練および警備編制の統括機関として警備編制所が設置された。有事には、警部を小隊長として81個小隊が編成される計画となっていた。また[[西南戦争]]に派遣された[[警視隊]]は、同所の修了者が多く、活躍したとされている<ref>{{harvnb|警視庁史編さん委員会|1959|pp=80-83}}</ref>。その後、1881年の[[憲兵 (日本軍)|憲兵]]制度の発足を受けて警備掛は廃止され、旧警視局所管の兵器は全て[[陸軍省]]に納付された<ref name="obinata">{{Cite book|和書|author=[[大日方純夫]]|year=1992|title=日本近代国家の成立と警察|pp=135-136|publisher=校倉書房|isbn=978-4751722206}}</ref>。しかしその後も、[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]などの[[外地]]では、武装勢力との戦闘に備えて[[小銃]]や[[野砲]]などの[[兵器|軍用武器]]を保有している場合もあった。
 
日本では1871年から新しい郵便制度を発足させたが、現金書留を狙った強盗被害が多かったことから、1873年に郵便配達員に拳銃([[拳銃#拳銃の所持規制|郵便保護銃]])の携帯を許可している([[郵便物保護銃規則]]も参照)。
 
===== 旧警察法時代 =====