「ゲシュタポ」の版間の差分

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[[1936年]]6月17日、ヒムラーは内相フリックに下属する全ドイツ警察長官 (Chef der Deutschen Polizei) に任じられた{{sfn|芝健介|1989|pp=73}}。この地位はすべての警察所管事項を管掌するものであったが、内相の指揮下にあるとは明言されていないものであった{{sfn|芝健介|1989|pp=73}}。6月26日、ヒムラーは州政府の警察権を中央政府に移管させ、政治警察であるゲシュタポと刑事警察(殺人・強盗など凶悪犯罪の捜査にあたる警察機関)の[[刑事警察_(ドイツ)|クリポ]] (KriPo) を'''[[保安警察]]'''(Amt Sicherheitspolizei, 略号: '''Sipo''')として束ね、改めて[[ラインハルト・ハイドリヒ]]に委ねた(なお[[秩序警察]](オルポ(Orpo)、政治警察でない通常警察)はクルト・ダリューゲに委ねられた)<ref name="クランク(1973)86">[[#クランク(1973)|クランクショウ(1973)、p.86]]</ref>{{sfn|芝健介|1989|pp=73}}。
 
ハイドリヒは保安警察を「行政・法制局」、「政治警察局」、「刑事警察局」の3つに分けた。このうち「政治警察局」がゲシュタポであった。ハイドリヒは政治警察局の局長に[[ハインリヒ・ミュラー]]を据えた。「政治警察局」(ゲシュタポ)は、これまで通り1部(行政・司法)、2部(政治警察)、3部(諜報警察)の3つの部から構成された<ref name="大野(2001)93">[[#大野(2001)|大野(2001)、p.93]]</ref>。ハイドリヒは政治警察局の局長に[[ハインリヒ・ミュラー]]を据えた
[[ファイル:Heinrich_Müller.jpg|thumb|right|150px|[[ハインリヒ・ミュラー]]]]
 
同じくハイドリヒの指揮下にあったナチ党の諜報組織[[SD (ナチス)|親衛隊諜報部 (SD)]]とゲシュタポは職務区分が明確でなかったため、反目することがあった。1935年の段階でゲシュタポ本局の職員の3割がSD隊員であるなど高率であった、プロイセン州全体のゲシュタポ隊員のうちSDは9%に満たなかった(親衛隊員は全体の20%){{sfn|芝健介|1989|pp=80}}。1937年7月1日にハイドリヒは保安警察及びSD長官(Chef der Sicherheitspolizei und des SD、略称CSSD)命令を出して、両者の職務領域を区分している。SDは党内問題、人種問題、文化問題、教育問題、外国問題、行政問題、[[フリーメーソン]]などを専管するとされ、一方ゲシュタポは[[マルクス主義]]、移民、[[国事犯]]を専管とすると定めた。[[教会]]、世界観問題、[[ユダヤ人]]、過激派、[[黒色戦線]]([[ナチス左派]]の[[オットー・シュトラッサー]]の分派組織)、経済問題、報道問題については共同管轄となった。SDを情報分析機関とし、ゲシュタポを執行機関とするのがこの区分命令の狙いであったと指摘されている<ref name="学研115" />。しかしSDの独自行動はやまず、1936年の年末に[[アプヴェーア]]([[ドイツ国防軍]]防諜部)とゲシュタポは権限分画を定めた協定を結んでいたが、SDがゲシュタポや官庁に対する監視活動を続け、アプヴェーアは「(SDが)国防上捨て置けない存在」になっていると訴えるほどであった{{sfn|芝健介|1989|pp=83-84}}。