「レ・ミゼラブル」の版間の差分

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: 両親を幼い時に亡くし、年の離れた姉に育てられるが、25歳の時に姉の夫が死去。[[1795年]]の終わり頃、姉の7人の子供達のために1本のパンを盗んで逮捕されてしまう。[[1796年]]に[[器物損壊]]と[[密猟]]の罪を併せて5年の刑を言い渡され、[[トゥーロン]]の[[刑務所|徒刑場]]へ送られるが4度も脱獄を図ったため、19年間もの歳月を監獄で過ごすことになる。監獄内でも並外れた怪力で有名であり、『起重機のジャン(ジャッキのジャン Jean-Le-Cric)』と綽名される。
: 1815年10月に出獄した時、すでに46歳となったヴァルジャンは長い監獄生活のなかで人間社会に対する憎悪の塊となってしまっていたが、ミリエル司教の情愛により改心する。悩み、苦しみ、時には哀しみと絶望を味わいながらも、常にミリエル司教の説く「正しい人」であろうと努め、日々を過ごす。
: 1815年の12月、[[モントルイユ (パスュド=カレ県)|モントルイユ=シュル=メール]]にやって来た彼は、「マドレーヌ氏」(M. Madeleine) と名乗る。産業で成功し、人望を集めた結果、1819年に国王ルイ18世の命で市長の座に就く。フォーシュルヴァン爺さんが、馬車の下敷きとなっているのを馬車を持ち上げることにより救助し、ジャヴェールにその正体がヴァルジャンではないかと疑われるようになる。
:1823年の1月にファンティーヌを救い、コゼットを連れ帰ることを約束するが、その約束が果たされるまでに1年近くを要することとなる。1823年3月に身元がばれ(厳密には自分でばらし)ジャヴェールにより逮捕され、無期徒刑囚となるが同年11月17日に脱獄、モンフェルメイユに向かう。1823年のクリスマスにテナルディエ夫妻からコゼットを奪還した後、パリへ向かう。ゴルボー屋敷での生活を経て、プティ・ピクピュス修道院<ref>プティ・ピクピュス通り62番地にある常時聖体崇拝を基本思想とするベルナール派修道院。修道院がなくなった後、[[パリ改造]]により[[リヨン駅]]になったとされる。なお、プティ・ピクピュス通りという地名はユーゴーの創った架空の地名である。</ref>に逃げ込み、フォーシュルヴァン爺さんに匿われて[[庭師]]として暮らす。以降、フォーシュルヴァン爺さんの弟の名を借り、「ユルティーム・フォーシュルヴァン」(Ultime Fauchelevent)として生きていくこととなる。
: [[1829年]]10月、60歳になったヴァルジャンは、フォーシュルヴァン爺さんの死をきっかけにプティ・ピクピュス修道院を出、コゼットとともにプリュメ通りの庭園つきの邸宅に引っ越す。母屋にコゼットと老女中トゥーサン (Toussaint)を住まわせ、自身は小さな門番小屋で質素な生活を送る。
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: [[1780年]]に、服役囚の父と、同じく服役囚のトランプ占いのジプシー女の子供としてトゥーロンの徒刑場で生まれた、ブルドッグのような顔つきの男。社会から外れ、「普通の人間として」社会に関われないという絶望から、自身の境遇やそれと同じ境遇に属する人間を憎み、社会を守る人間であることを選ぶ。その素養が備わっていたこともあり、彼は警察官となる。
: [[禁欲主義]]で生真面目かつ自分にも他人にも厳格な男。社会秩序を絶対的に信奉する法の番人であり、これに逆らう者には公正だが容赦なく振る舞ったため、町のならず者達を震え上がらせる。パトロン=ミネットに名を連ねていた者も彼を恐れた。
: [[1820年]]に40歳で捜査官(inspecteur:私服警官と呼ばれる刑事の階級で、現在のフランス警察のlieutenant([[警部補]])に相当)となってモントルイユ=シ=スュー=メールに赴任するが、有名人であるマドレーヌ氏のことを、昔トゥーロンで見たジャン・ヴァルジャンではないかと疑い続ける。
: ある日、バマタボワといざこざを起こしたファンティーヌ(コゼットの母)を逮捕するが、マドレーヌ市長(ジャン・ヴァルジャン)が自らの裁量でファンティーヌを釈放してしまった事に憤慨し、とうとう彼をジャン・ヴァルジャンとしてパリ警視庁へ告発しに行く。結果、シャンマティユーの一件でついにヴァルジャンを捕らえるものの、後に逃げられてしまう。
:ヴァルジャンを逮捕するための助っ人としてパリに招集され、警視庁の上層部にその熱意を買われた彼は一等捜査官 (inspecteur de première classe; 現在のフランス警察のcapitaine (警部)及びcommandant (上級警部)に相当)としてパリに駐在することになる。
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; ファンティーヌ (Fantine)
: [[ファイル:Émile Bayard - Il lui ferma les yeux.jpg|180px|left|thumb|ヴァルジャンに看取られ死の床に就いたファンティーヌ。ユーグ版より。]]
: [[1796年]]生まれの、美しい髪と前歯を持つ可憐で純粋な美女。[[モントルイユ (パスュド=カレ県)|モントルイユ=シュル=メール]]生まれの孤児で、ファンティーヌという名は通りすがりの人からつけられた。町に教会がなかったため[[洗礼]]を受けていない。10歳で近隣の農家へ出稼ぎに行き、15歳でお針子娘としてパリに出た彼女は、[[トゥールーズ]]出身の老学生フェリックス・トロミエス (Félix Tholomyès) と夫婦のように愛し合い、1815年、19歳のときに娘コゼットをもうける。しかし、[[1817年]]にトロミエスが突如故郷へ帰ってしまったことがきっかけで生活が一変する。翌年の春、57フラン<ref>脚注2.と同じように計算すると11万4000円。</ref>を支払ってコゼットをテナルディエ夫婦に預けると、故郷モントルイユにあるマドレーヌ市の工場で働くことになる。
: だが、その言動から、女工仲間から疎まれ、怪しまれる存在になり、しまいには隠し子がいる事がばれて工場を解雇されてしまう。この頃からコゼットの養育費の支払いが滞り始める。シャツを縫う仕事を始め、身体を酷使し、それでも金が足りないときは娘のために自分の大事な前歯と美しい長い髪も売って金をつくった。何もかも売ってしまって金が足りない彼女は、ついに売春に走ってしまう。生活苦に陥るたびに、彼女の精神はコゼットへの愛で高揚し、精神的に麻痺していくようになる。
: コゼットを手放してから5年目の冬、27歳になった彼女はバマタボワ氏 (M. Bamatabois) というハイカラ男といざこざを起こして逮捕されそうになったところを、マドレーヌ市長ことジャン・ヴァルジャンに助けられる。コゼットを手放した頃から胸を患っていた彼女は、ヴァルジャンにコゼットのことを託し、コゼットと再会できるよう計らってもらう。