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'''東宮'''(とうぐう・みこのみや)、あるいは'''春宮 '''(しゅんぐう・はるのみや)とは、皇太子の[[皇太子]]の居所、つまり住居する場所を意味し、転じて、[[皇太子]]を意味する言葉にもなった。
== 概要 ==
[[唐]]の[[太宗]][[李世民]]が皇太子時代に[[尚書令]]として、[[皇帝]]の居住する[[大明宮]]の東で執務したことに由来する。東も春にも[[五行思想]]での「若い」という意味があり、春は万物の生長する季節で、また[[易]]で東を「震」といい、「震」は長男とされていた。職司として、皇太子の輔導を管掌とする[[東宮傅]]および[[東宮学士]]があり、[[宮職]]に屬していた。また皇太子の宮の内政を取り扱う役所を[[春宮坊]]といい、その付属機関として、三監(さんげん)・六省を配下に置いていた。
 
古代日本の史料における'''東宮'''・'''春宮'''の初見は、『[[日本書紀]]』巻第
{{quotation|是の皇子(=[[聖徳太子|厩戸皇子]])、初め上宮<small>(かみつみや)</small>に居<small>(ましま)</small>しき。後<small>(のち)</small>に[[斑鳩]]<small>(いかるが)</small>に移りたまふ。豊御食炊屋姫天皇<small>(とよみけかしきやひめのすめらみこと)</small>(=[[推古天皇]])の世<small>(みよ)</small>にして東宮<small>(みこのみや)</small>に位居<small>(ましま)</small>す<ref>『日本書紀』用明天皇元年5月1日条</ref>}}
であり、さらに『[[日本書紀]]』巻第三十には
{{quotation|直広壱<small>(ぢきくゎういち)</small>[[当麻国見|当麻真人国見]]を以て東宮大傅<small>(みこのみやのおほきかしづき)</small>とす。直広参<small>(ぢきくゎうさむ)</small>[[路登美|路真人跡見]]をもて春宮[[長官|大夫]]<small>(みこのみやのつかさのかみ)</small>とす。直大肆<small>(ぢきだいし)</small>[[巨勢粟持|巨勢朝臣粟持]]<small>(こせのあそみあはもち)</small>をもて[[次官|亮]]とす<ref>『日本書紀』持統天皇11年2月28日条</ref>}}
ある。同年には[[無遮大会]]を東宮に設けた<ref>『日本書紀』持統天11年3月8日条</ref>、ともある
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
* 『角川第二版日本史辞典』p671、[[高柳光寿]]・[[竹内理三]]:編、[[角川書店]]、1966年
* 『岩波日本史辞典』p814、監修:[[永原慶二]]、[[岩波書店]]、1999年
* 『日本書紀』(四)・(五)、[[岩波文庫]]、1995年
 
== 関連項目 ==