「汝矣島」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
33行目:
[[1751年]]に編纂された『都城三軍門分界総録』に初めて「汝矣島」の名称が登場する。川が増水すると島の大部分が水没するため住宅は建てられず、羊や馬の放牧地として使われた。
 
[[日本統治時代 (朝鮮)|日本統治時代]]の1916年に軍用の汝矣島飛行場が建設された。1929年、[[日本航空輸送]]が[[立川飛行場|東京]]・[[周水子空港|大連]]を結ぶ民間の航空路開設され、その中継地の一つとなり軍民共用飛行場となった。第二次世界大戦後、[[大韓国民航空社]]の拠点空港となった。1958年に民間便は[[金浦国際空港]]に移転した。その後、空軍基地として利用されたが、1971年に閉鎖され区画整理が行われた。
 
[[1975年]]に[[国会議事堂 (大韓民国)|国会議事堂]]が[[中区 (ソウル特別市)|中区]]太平路から移転した<ref>太平路の旧国会議事堂は、1935年に京城府民館として建設された。大韓民国の独立から1975年まで国会議事堂、次いで市民会館となり、1991年からソウル特別市議会議事堂として使用されている。</ref>。マスコミなどでは、[[国会 (大韓民国)|国会]]ないし国会議員を指す呼称として「汝矣島」が使われることがある(日本の国会を「永田町」と呼ぶのと同様)。