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=== 米西戦争 ===
[[1898年]]の[[米西戦争]]は1898年4月に始まり1898年8月に終結した。その結果、アメリカ合衆国は[[キューバ]][[プエルトリコ]][[フィリピン]]の管理権をスペインから獲得した。軍事警察としてまた植民者としてこれらの国々を侵略し征服する過程で、アメリカ合衆国は[[先住民]]に予防接種を行うことで医療を管理するという実践的アプローチをった<ref name=":0" />。米西戦争は{{仮リンク|病原菌説|en|Germ theory of disease}}によって疾病に関する知識が補強された「微生物学革命」の時代に起こったが、この戦争での兵士の死因の半数以上は疾病によるものだった<ref name=":0" />。アメリカ人たちは、そうとは知らず、手当たり次第に作った宿営地で細菌を育て、疾病の拡散因子として機能した。これら米兵兵士が進出で、キューバ、プエルトリコ、フィリピンへ侵攻し、などこれまで連結されることのなかったこれらの国々が連結され、流行が開始され起こった<ref name=":0" />。これらの国々をめぐるアメリカ人兵士の機動性は、新たに発見された疾病の移動を促進し、迅速に現地人を感染させた。
 
軍人米国は、キューバ、フィリピン、プエルトリコにおける帝国主義的行動と、「暗色の肌の野蛮人」が現代的な衛生水準へ到達するのをアメリカ合衆国が助ける必要性を説明するため、[[ラドヤード・キップリング]]の詩『{{仮リンク|白人の責務|en|The White Man's Burden}}』(''The White Man's Burden'') を利用した<ref name=":0" />。戦争、戦中、戦後における国外でのアメリカの行動は、特に先住民のための適切な衛生習慣の必要性を強調した。アメリカの健康水準や手法に従うことを拒否した先住民は、罰金を科せられるか投獄されるかした<ref name=":0" />。プエルトリコでは、予防接種を行わないことに対する罰金は10ドルであり、予防接種を受けない限り毎日5ドルが科せられ、支払いを拒否すれば10日以上投獄された。村全体が軍の現在の衛生方針を拒絶した場合は、いつでも[[天然痘]]や[[黄熱]]といった[[風土病]]から兵士の健康と安全を守るために焼き払われる危険性があった<ref name=":0" />。ワクチンはプエルトリコ人、キューバ人、フィリピン人に強制的に投与された。プエルトリコの軍人の提供する公衆衛生サービスは、一般的な予防接種命令に加えて、子供が6ヶ月に達するまでに予防接種を行う義務を課す軍事命令で最高潮に達した<ref name=":0" />。プエルトリコでは1899年の終わりまでに、アメリカ軍と ''practicantes'' と呼ばれる雇われた先住民の予防接種実施者によって、5ヶ月の間に86万人の先住民が予防接種を受けたと推計されている。この期間には、国外の兵士の命を守るための試みとして「[[熱帯医学]]」を含む医療行為の拡大に向けた動きがアメリカ合衆国によって開始された<ref name=":0" />。
 
=== ベトナム戦争 ===