「保津車塚古墳」の版間の差分

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== 概要 ==
京都府中部、[[亀岡盆地]]東縁の牛松山から延びる丘陵先端部の[[舌状台地]]上に築造された古墳である{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。一帯では本古墳を盟主墳とする古墳19基([[前方後円墳]]1基・[[円墳]]18基)からなる案察使古墳群の分布が知られるほか、南東の丘陵においても保津山東古墳群19基の分布が知られる{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。現在までに墳丘は大きく削平を受けているほか、近年には発掘調査が実施されている{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。
 
墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は2段築成{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。墳丘表面には[[葺石]]が認められる{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。[[埴輪]]は認められていないが、木製品(盾形・蓋形木製品)が検出されている{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。墳丘周囲には周濠が2重に巡らされる(内濠は水濠、外濠は空濠か){{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。その他に出土品として[[須恵器]](TK47-TK23型式)がある{{Sfn|京都府遺跡調査概報 第103冊|2002|pp=93-102}}。