「阿彌神社 (阿見町中郷)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
{{出典の明記}}から{{脚注の不足|date=2020年3月}}に下げる
122行目:
*享保明和年間(1716-1771年)の資料に、鹿島明神を祀ると記されている。
 
[[安永]]年間(1772-1778年)、竹来阿彌神社、熊野権現とともに式内の阿彌神社を巡る式内社論争が起こり、[[文政]]12年(1829年)に寺社奉行の裁許を仰ぐに至った<ref name="amim" />。現在は、中郷と竹来が論社となっている。熊野権現は江戸時代においては有力な社であったが、神主が途絶えたことにより衰退し、中郷阿彌神社に合併された。当社の北方にある[[舌状台地]]を「立の腰の権現山」といい<ref name="昔ばなし" />、小字に熊野脇という地名も残っている。
 
明治以前の地誌等の式内社論争に関する判断は、下記の通りである。