「マリヤ・ムスチスラヴナ」の版間の差分

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{{基礎情報 皇族・貴族
'''マリヤ(アガフィヤ)・ムスチスラヴナ'''は[[キエフ大公]][[ムスチスラフ1世|ムスチスラフ]](ムスチスラフ・ヴェリーキー)と、その妻[[クリスティーナ・インゲスドッテル|クリスティーナ]]との間の子である。[[フセヴォロド2世|フセヴォロド]]と結婚し、チェルニゴフ公妃・キエフ大公妃となった。
| 人名 = マリヤ・ムスチスラヴナ
| 各国語表記 = Мария Мстиславна
| 家名・爵位 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 =
| 続柄 =
| 称号 =
| 全名 =
| 身位 =
| 敬称 =
| 出生日 = [[1110年|1110]]/[[1113年|3年]]
| 生地 =
| 死亡日 = [[1179年|1179]]/[[1181年|81年]]
| 没地 =
| 埋葬日 =
| 埋葬地 = [[キエフ]]、聖キリル教会
| 配偶者1 = [[キエフ大公]][[フセヴォロド2世]]
| 子女 = [[スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ (キエフ大公)|スヴャトスラフ]]<br>[[ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ (チェルニゴフ公)|ヤロスラフ]]<br>アンナ<br>[[ズヴェニスラヴァ・フセヴォロドヴナ|ズヴェニスラヴァ]]<br>娘
| 家名 = [[リューリク家]]
| 父親 = [[キエフ大公]][[ムスチスラフ1世]]
| 母親 = [[クリスティーナ・インゲスドッテル]]
| 栄典 =
| 役職 =
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''マリヤ(アガフィヤ)・ムスチスラヴナ'''(ロシア語:Мария(Агафья) Мстиславна, [[1110年|1110]]/[[1113年|3年]] - [[1179年|1179]]/[[1181年|81年]])[[キエフ大公]][[ムスチスラフ1世|ムスチスラフ]](ムスチスラフ・ヴェリーキー)と、その妻[[クリスティーナ・インゲスドッテル|クリスティーナ]]との間の子である。[[フセヴォロド2世|フセヴォロド]]と結婚し、チェルニゴフ公妃・キエフ大公妃となった。
 
なお、ルーシの年代記([[レートピシ]])には名に関する記述はなく、マリヤあるいはアガフィヤという名は後世に冠されたものである<ref name="Литвина А. Ф.,">Литвина А. Ф., Успенский Ф. Б. Выбор имени у русских князей в X—XVI вв. Династическая история сквозь призму антропонимики. — М.: «Индрик», 2006. </ref>。
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また、夫フセヴォロドがキエフ大公位に就いた1139年から建設が始められた、[[キエフ]]の聖キリル教会[[:ru:Кирилловская церковь|(ru)]]は、マリヤも創設に携わった一人であると考えれられている。この教会の修道院大聖堂は、おそらく、フセヴォロドらオレグ家[[:ru:Ольговичи|(ru)]]の諸公を弔うために作られたものであった。1179年に没したマリヤは、この聖キリル教会に埋葬された。
 
==子==
 
夫フセヴォロドとの間に以下の子がいる。
*[[スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ (キエフ大公)|スヴャトスラフ]] - キエフ大公、[[チェルニゴフ公]]