「椎の木屋敷」の版間の差分

Readhistory8 (会話) による ID:76841530 の版を取り消し
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 ビジュアルエディター
(Readhistory8 (会話) による ID:76841530 の版を取り消し)
タグ: 取り消し
== 歴史 ==
[[File:刈谷市椎の木屋敷1.jpg|thumb|left|17歳で家康を出産した於大の像]]
[[水野忠政]]の娘[[於大の方]]は未通女だった天文10年(1541年)に[[松平広忠]]に嫁ぎ、16数え年17歳の天文11年(1543年)に竹千代(後の[[徳川家康]])を出産した<ref name="日本歴史地名体系"/>。しかし、天文14年(1544年)に実家の水野家が織田松平に帰属し、今川家から離反したため、危機感を感じた松平広忠から離縁された<ref name="日本歴史地名体系">『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年</ref>。この際、[[岡崎城]]から刈谷の[[水野家]]に戻ってこの屋敷に住んだとされる。
 
江戸時代には霊地扱いされ<ref name="日本歴史地名体系"/>、屋敷の出入口に鍵が掛けられ、庶民は立ち入ることができなかった。かつて文字通りの屋敷建築物も存在し、敷地の中央部には数基の[[五輪塔]]があったとされる<ref name="日本歴史地名体系"/>。於大は天文17年(1547年)に[[阿久比町|阿久比]]の[[久松俊勝]]と再婚し、椎の木屋敷を離れて[[坂部城跡|坂部城]]に移った<ref name="日本歴史地名体系"/>。<ref name=cityofficial/><ref name=cityofficialpdf/><ref name=kankokyokai/><ref>椎の木屋敷跡現地解説板</ref>