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|備考 = [[無人駅]]([[駅集中管理システム]]導入駅、ただし安全のため係員常駐)<br />*[[東枇杷島駅|東枇杷島]] (NH38) まで0.9km
}}
 
'''西枇杷島駅'''(にしびわじまえき)は、[[愛知県]][[清須市]]西枇杷島町川口にある、[[名古屋鉄道]][[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は'''NH39'''。
 
[[普通列車]]のみが停車する。かつては[[急行列車|急行]][[準急列車|準急]][[停車 (鉄道)#臨時停車・特別停車|特別停車]]があった。
 
== 歴史 ==
かつて駅舎は現状より須ヶ口駅寄りに位置したが、[[太平洋争]]後になって現在地へ移設された<ref>{{Cite book|和書|author=名古屋鉄道株式会社(編)|title=この駅この町 <small>沿線散歩・名鉄100駅</small>|publisher=名古屋鉄道広報宣伝部|year=1986|page=5}}</ref>。
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[1月23日]] - 開業。
* [[1920年]](大正9年)以前 - [[名鉄一宮線|一宮線]]の[[枇杷島橋駅]] - [[下小田井駅]]間に[[枇杷島分岐点|下砂杁信号場]]を設置して当駅との間の[[デルタ線]]を形成<ref name="PIC816-146">澤田幸雄 「名鉄の駅,構内設備の思い出」(『[[鉄道ピクトリアル]] No.816 2009年3月号臨時増刊』[[電気車研究会]]、2009年)p.146</ref>。
* [[1940年]]([[昭和]]15年)頃 - 戦時[[貨物輸送]]強化のためデルタ線上に[[貨物線]]を増設<ref name="PIC816-146"/>。
* [[1944年]](昭和19年) - [[戦時体制|戦時中]]のため旅客営業を休止し[[貨物駅]]となる<ref name="PIC816-146"/>。
* [[1949年]](昭和24年)[[8月1日]] - 枇杷島橋駅廃止の代替として旅客営業再開。待避線を新設し、下砂杁信号場を統合しデルタ線を駅構内とする<ref>{{Cite book|和書|author=名古屋鉄道広報宣伝部(編)|year=1994|title=名古屋鉄道百年史|publisher=名古屋鉄道|page=982}}</ref>。
* [[1966年]](昭和41年)[[2月10日]] - 貨物営業廃止<ref>{{Cite book|和書|author=名古屋鉄道広報宣伝部(編)|year=1994|title=名古屋鉄道百年史|publisher=名古屋鉄道|page=1018}}</ref>。
* [[1970年]](昭和45年)[[12月25日]] - 準急停車駅に昇格<ref>{{Cite journal|和書|author = 岸義則|title =読者短信|date = 1971-3 |publisher = 電気車研究会|journal = 鉄道ピクトリアル |volume = 248|page= 90}}</ref>。
* [[1987年]](昭和62年)[[11月27日]] - 隣の[[二ツ杁駅]]が準急停車なり当駅は準急通過となり、普通のみの停車駅となる<ref>{{Cite book|和書|author=名古屋鉄道広報宣伝部(編)|year=1994|title=名古屋鉄道百年史|publisher=名古屋鉄道|page=1064}}</ref>。
* [[2004年]]([[平成]]16年)
** [[2月28日]] - [[駅集中管理システム]]導入。駅員未配置駅化<ref name="Databook">{{Cite book|和書|title=改訂新版 データブック日本の私鉄|author=寺田裕一|publisher=ネコ・パブリッシング|year=2013|isbn= 978-4777013364|page=255}}</ref>(ただし、運転業務を取り扱うために駅員、および駅長も配属されている)。
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* [[2012年]](平成24年)[[2月29日]] - トランパスの使用を終了。
* [[2019年]](平成31年・[[令和]]元年)
** [[3月16日]] - [[2005年からの名古屋鉄道ダイヤ改正#2019年3月16日改正|ダイヤ改正]]により待避線使用停止<ref name="CS190517D-1"/>。
** 11月下旬 - 待避線撤去工事実施<ref name="RAILF20191202">{{Cite web|title= 名鉄西枇杷島駅の待避線が撤去される|date= 2019-12-02 |url= https://railf.jp/news/2019/12/02/182000.html|accessdate= 2019-12-31 }}</ref>。
 
== 駅構造 ==
4両[[編成 (鉄道)|編成]]対応の[[地上駅]]。かつては[[待避線]]を持つ2面4線の[[プラットホーム#島式ホーム|島式ホーム]]だったが、[[2020年|2020]]([[令和]]2)年度末完成予定の駅改良工事<ref name="CS190517D-1"/>により、[[2019年11]](令和元年)11月に上下待避線が撤去され、[[プラットホーム#相対式ホーム|相対式]]2面2線のホームとなっている<ref name="RAILF20191202"/>。ホームの旧待避線側には簡易的な柵が設置されている。
 
全長80m80 m最大部で4m4 mほどの狭小な[[プラットホーム]]には[[駅名標]][[列車非常停止警報装置|非常通報ボタン]]しかなく、以前は安全上の理由から停車列車の発着時以外はホーム上に立ち入ることができず、列車到着直前時のみ係員の誘導に従ってホームに入る仕様になっていた<ref>[[鉄道ジャーナル]] 2016年4月号 p.112 より</ref><ref name="CS190517D-1">{{Cite news |和書|title= 幅4メートル「待てないホーム」改修 名鉄・西枇杷島駅|newspaper= 中日新聞|date= 2019-05-17|author= 榊原智康 |url= https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019051702000291.html|accessdate= 2019-05-17| at= 夕刊1面 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190517103553/https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019051702000291.html |archivedate= 2019-05-17 }}</ref>。現在はホームに簡易的な柵が設置され、列車到着の直前でなくても入場が出来るように緩和された。なお、ここで誘導を行う係員は運転担当の要員であり、駅出改札業務を行う「[[駅員]]」ではない。駅業務上は[[駅集中管理システム]]が導入された[[無人駅]](管理元は[[神宮前駅]])という扱いである<ref>{{Cite book|和書|author=徳田耕一|title=名古屋鉄道 今昔<small>―不死鳥「パノラマカー」の功績</small>|date=2017-08 |series =交通新聞社新書 |publisher=交通新聞社 |isbn=978-4330819174|page=71}}</ref>。
 
名鉄岐阜方面を[[東海旅客鉄道|JR]][[東海道線 (名古屋地区)|東海道本線]]と[[東海道新幹線]]の跨線橋、名鉄名古屋方面を[[愛知県道67号名古屋祖父江線]]([[美濃路|美濃街道]]、岐阜街道、[[鮎鮨街道]]、[[国道22号]]の旧道)の踏切に挟まれており、ホームの拡張余地はほとんどない。そのため、[[1987年]]([[昭和]]62年)に隣の[[二ツ杁駅]]に待避線が増設されると当駅で待避を行う列車待避は減少し<ref name="PIC816-146"/>。なお列車待避は[[2005年からの名古屋鉄道ダイヤ改正#2019年3月16日改正|2019年3月改正]]で全されている<ref name="CS190517D-1"/>。
 
利用者や停車本数は少ないものの、安全運行上は非常に重要な駅である。この駅のすぐ東にある[[信号場]]の[[枇杷島分岐点]]は超高密度運行区間の[[平面交差]]であるため、完全に機械任せにすることができない。そのため必要に応じて分岐点手前で停止させたり、減速させて交差電車をやり過ごすといった操作が常時必要になっており、それらの管理を担当しているのが当駅だからである。枇杷島分岐点自体が当駅の構内という扱いになっており、[[鉄道信号機|場内・出発信号機]]の称番が関連しているのはそのためである。
 
{| class="wikitable"