「帝辛」の版間の差分

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[[殷墟]]から出土した[[甲骨文字|甲骨文]]によれば、帝辛は歴代王と同様に祖先祭祀に努めたことが判明している。<!--「帝辛は神への祭祀をする事厚い」{{要出典|date=2015年4月}}と記されている。-->また、甲骨文の研究からは前代まで続いていた[[人身御供]]を取りやめたのは帝辛だったことが判明している。
 
帝辛の代に「東の[[人方]](==[[東夷]])と言う部族を討ち国勢は盛んになった」と見なす研究がある。しかし[[盂方]]の離反と鎮圧などで国力が不安定になったと見る研究もある<ref>[[陳舜臣]]『中国五千年』(上) [[講談社]]<[[講談社文庫]]> 1998年 57頁。 陳舜臣によると、生産が増えたために、殺害するよりも働かせた方がよいという判断したのか、羌族が昔に比べて容易に捕獲出来なくなったとの説を述べている。</ref>。
 
===殷周革命===