「国鉄分割民営化」の版間の差分

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民営化が事実上決まった後に実施された[[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|1986年11月1日ダイヤ改正]]以降、各地域の特性に合わせたダイヤの設定や新型車両の投入が行われた。そのほか、縦割り的なダイヤ設定の解消が図られた<ref>大阪鉄道管理局管内にある[[東海道本線]]と[[山陽本線]]にまたがる[[複々線]]区間は、外側線([[電車線・列車線|列車線]])を本社権限(主に長距離輸送を担う特急や貨物列車)で、内側線(緩行線)を大阪局権限(主に近郊輸送を担う快速や普通列車)で、それぞれが列車の設定を行っていたため、それぞれの線路に速度の違う列車が走行するなど非効率なものであった。 ※当該区間の輸送実態については[[京阪神緩行線]]などを参照。</ref>ことにより、[[ニーズ]]に合った列車設定がなされるようになった。また、増発や新駅の設置、駅舎改良も積極的に実施されたことにより混雑は大幅に緩和された。<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/youran/pdf/2015-2016/jre_youran_group_p26_31.pdf JR東日本会社要覧2015 首都圏の朝通勤ピーク時の混雑率推移]}}によると1987年238%→2014年174%</ref>また、折からの[[バブル景気]]の追い風もあって利用者は本州3社は約20%増となり、国鉄時代は減少が続いていた3島でも九州約10%増、四国約20%増、北海道約25%増(1987年 - 1995年比)と大幅に増加した<ref>[財界特別増刊 「国鉄分割民営化とJR10年目の総決算」 財界研究所]</ref>。また、都市近郊区間を中心に複線化や電化が行われている<ref>優等列車を運行している都市間を結ぶ幹線の電化は[[七尾線]](一部)、[[山陰本線]](京都・福知山間)・[[舞鶴線]]と[[予讃線]](観音寺・伊予市間)で、それ以外は[[札沼線]](一部)・[[相模線]]・[[八高線]](一部)・[[武豊線]]・[[片町線]](一部)・[[加古川線]]・[[播但線]](一部)・[[筑豊本線]](一部)・[[篠栗線]]・[[豊肥本線]](一部)など、都市近郊の路線・区間が大半である。どちらにも属さない路線では[[小浜線]]や、[[青函トンネル]]の接続線として整備された[[津軽線]]・[[江差線]](いずれも一部)、大規模施設のアクセスとして整備された[[大村線]]・[[日南線]](いずれも一部)、都市から離れた新幹線駅とのアクセスとして整備された[[函館本線]](一部)がある。</ref>。
 
国鉄時代は、それまで運賃値上げが抑制されていたこともあり、1976年10月に約50%もの運賃値上げを実施し、1978年以降、1983年を除き、1986年までほぼ毎年運賃値上げを繰り返した。しかし、民営化以降は本州会社は基本制度としての運賃値上げを行っていない([[消費税]]導入時の1989年4月、1997年4月と2014年4月と2019年10月の消費税率改定時に、運賃に消費税分の金額上乗せを実施)。一方、経営環境が厳しい三島会社は1996年の一度のみ運賃値上げ、及び本州会社とまたがって乗車した場合の加算運賃追加が実施され、2019年10月にJR北海道の消費税増税分を上回る運賃値上げを行い、これ以降運賃体系は三島会社と本州会社間をまたがって乗車した場合を除き全国一律ではなくなった。
 
国鉄の輸送機関別のシェアは凋落の一途をたどり、鉄道は「[[斜陽産業]]」とも言われた。だが、民営化以降は減少が止まり、微増に転じたことから「鉄道の復権」とも言われるようになった。<ref>[鉄道ジャーナル 92年1月号 鉄道の復権]</ref>