「ブルガリア王国 (近代)」の版間の差分

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|次代3 = ユーゴスラビア王国
|次旗3 = Flag of Yugoslavia (1918–1943).svg
|次代4 = ユーゴスラビア社会主義連邦人民共和国
|次旗4 = Flag of the Democratic Federal Yugoslavia.svg
|国旗画像 = Flag of Bulgaria (1878-1944).svg
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[[ファイル:Tzar Ferdinand at proclamation of Bulgarian-independence.jpg|左|サムネイル|231x231px|[[1908年]]、[[ブルガリア独立宣言]]{{Enlink|Bulgarian Declaration of Independence|en}}における[[フェルディナンド1世 (ブルガリア王)]]|代替文=]]
前身である[[大ブルガリア公国]]は[[列強]]の思惑で領土を縮小されるなど、自治権は得たものの国内には不満が残る結果となった([[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]])。その後、[[1908年]]に[[宗主国]][[オスマン帝国]]で[[青年トルコ人革命]]が勃発すると、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の助力を得てブルガリアは独立を宣言し、大公フェルディナンド1世は[[君主号]]を皇帝(ツァール)へ変更する。翌[[1909年]]4月19日、オスマン帝国は[[ロシア帝国]]との戦争の賠償を肩代わりするという条件でブルガリア政府と[[議定書]]を交わし、ブルガリアは名実共に独立国となった。
 
 
== 第一次・第二次バルカン戦争 ==