「レクラン・フランセ」の版間の差分

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*[[1948年]]、同誌に[[アレクサンドル・アストリュック]]が『カメラ=万年筆、新しき前衛の誕生(''Naissance d'une nouvelle avant-garde : la caméra-stylo'')』を発表。本論は、同誌に寄稿していた[[アンドレ・バザン]]の共感を呼び、多くのシネフィルに衝撃を与え、やがてのちの「[[作家主義]]」の思想的源泉となった。
*映画雑誌として、あまりに巨大な存在であったので、『レクラン』誌に対抗すべくさまざまな雑誌が創刊された。1928年に創刊したものの[[第二次世界大戦]]中に廃刊しており、戦後、[[ジャン=ジョルジュ・オリオール]]と[[ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ]]が復刊させた『[[ラ・ルヴュ・デュ・シネマ]]』誌([[1928年]] - [[1931年]]/[[1946年]] - [[1950年]])、[[エリック・ロメール]]が主宰した「[[シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン]]」の機関誌として登場した『[[ラ・ガゼット・デュ・シネマ]]』誌([[1950年]][[5月]] - [[11月]])、また、『レクラン』誌に執筆していた[[ジャン=シャルル・タケラ]]が[[アンリ・コルピ]]と創刊した『[[シネ・ディジェスト]]』など。『レクラン』誌に執筆していたバザンとアストリュックが同誌を出て、オリオールの死後廃刊した『ルヴュ』の復刊を目指しドニオル=ヴァルクローズらとともに奔走し『[[カイエ・デュ・シネマ]]』誌を[[1951年]][[4月]]に創刊、その翌1952年には、『レクラン』誌は終焉を迎えてしまう。
*[[1952年]][[3月12日]]号をもって廃刊。[[フランス共産党]]の文芸新聞学雑誌『[[レ・レットル・フランセーズ]] ''[[:fr:Les Lettres françaises|Les Lettres françaises]]''』(編集主幹[[ルイ・アラゴン]]、在任[[1953年]] - [[1972年]])に吸収される。
 
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