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'''四六事件'''(よんろくじけん)とは[[1948年]]から[[1949年|翌49年]]にかけて[[台湾]]で発生した[[国民政府]]による最初の大規模な学生弾圧事件。
 
1948年、[[国立台湾師範大学|台湾省立師範学院]]が主体と[[国立台湾大学]]と聯合し公費支援制度の向上を要求した学生による「救苦・救難・救飢餓」をスローガンとするハンガーストライキが実施された。当時は中国大陸から台湾に逃れた学生が台大及び師院に少なからず在籍しており、また台湾の多くの知識人が社会主義の素朴な思想の影響を受け、国民政府への信頼喪失と[[中国共産党]]を精神のよりどころとし、大陸の学生運動と台湾の学生運動を結合させようとした。これが後に政府当局の大規模な学生逮捕へと繋がった。
 
1949年3月20日21時15分頃、台大法学部1年の何景岳と師院博物学科の李元勲が自転車に二人乗りをし大安橋付近に差し掛かった際、中山路(一説には中正東路)の警官である謝延長により交通規則として誰何され、双方に衝突が発生、両名の学生が暴行を受け、22時頃に台北市第四警察分局(大安分局)に連行された。その後学生が警察署を包囲、1.警察所長による直接の謝罪、2.暴行を行った警察官の処分、3.今後同様の事件が発生しないことの保証の3点を要求した。