「吉本興業福岡支社」の版間の差分

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== 概歴 ==
[[1989年]]に発足。初代の所長は当時[[明石家さんま]]のマネージャーだった吉田武司(現・[[鳴門市文化会館]]館長)。[[1990年]]に[[テレビ西日本]]で放送された吉本興業主催オーディション「第1回激辛!?お笑いめんたい子」で第1期所属芸人を選抜し、優勝した「ター坊ケン坊」([[カンニング竹山]]と[[ケン坊田中]]のコンビ)のほか、オーディションに参加していた[[博多華丸・大吉|鶴屋華丸・亀屋大吉(博多華丸・大吉)]]、[[コンバット満]]、ひらきさんしん(廃業)6名に、同じくオーディションに参加したサラリーマンとの掛け持ち芸人・ワコール青木(現・[[立川談慶]])<ref>サラリーマンとの兼業だった。翌1991年、[[立川談志]]に入門し落語家となる。</ref>、[[コンバット満]]、ひらき三振(廃業)の、所属を加えた7名が、第1期生でスタートて所属となった。
 
事務所開き直後は[[福岡県]][[博多区]]築港に当時存在した「博多温泉劇場」を借り、大阪吉本から[[未知やすえ]]、[[浅香あき恵]]、[[大木こだま・ひびき]]、[[今いくよ・くるよ]]、[[チャーリー浜]]らが度々出演していた。当初は福岡市[[中央区 (福岡市)|中央区]]舞鶴の雑居ビルに事務所を構え、その後[[博多区]][[博多バスターミナル|博多駅センタービル]]内「吉本111劇場」に移転したが、劇場閉鎖後現在は博多区[[中洲]]のツイン・Kビル内に事務所を置く。
 
事務所開設後、長らく常設劇場が無かったが、[[1999年]]に[[博多駅]]横の[[博多バスターミナル|博多駅交通センター]]ビルにて'''吉本111劇場'''(後に'''吉本ゴールデン劇場'''に改称)を運営した。同劇場が[[2003年]]に閉鎖された後はBUZZ(天神ACB地下)を経て[[天神ビブレ|ビブレホール]]、[[イムズ|イムズホール]](いずれも福岡市中央区)、[[福岡アジア美術館|博多リバレインホール]](福岡市博多区)を主な舞台としていたが<ref>[[1990年代]]前半には[[直方市]]に「[[もち吉]]花月」を建設するプランがあったが(もち吉との共同運営で、敷地内に千人規模の花月劇場、[[吉本新喜劇]]も常設する予定だった)、[[バブル景気|バブル崩壊]]やその他事情により頓挫している。</ref>、[[2018年]]にビブレホールを正式な常設劇場とし、よしもとエリアアクションが運営する「'''よしもと天神ビブレホール'''」を開設としてオープンしたした<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00000004-wordleaf-ent&p=1 福岡・天神に14年ぶり、よしもとの常設劇場が復活 福岡の笑いを変えるのか?]</ref>。但し、[[天神 (福岡市)|天神]]地区の再開発事業「天神ビッグバン」の一環で、入居する[[天神ビブレ]]が[[2020年]][[2月11日]]に閉店することに伴い、ビブレホールも同日に閉館となった<ref>[https://www.yoshimoto.co.jp/vivre/ よしもと天神ビブレホール 劇場閉館のお知らせ]</ref>。
 
[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー札幌支社|札幌吉本]]、[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー東海支社|名古屋吉本(吉本東海)]]、[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー広島事務所|広島吉本]]などの地方事務所の中では所属芸人の数が一番多い。原則として新人は漫才・コントなどのネタ活動からタレント活動を始める。その後の展開はさまざまで、ネタ活動をメインとする者、福岡をはじめ九州各県のローカル放送で司会やレポーターなどのパーソナリティー活動にも携わる者などがいる。また、東京に進出し全国区での活動を目指す者もいる。地方事務所で唯一、[[M-1グランプリ|M-1]]チャンピオン([[パンクブーブー]])と[[R-1ぐらんぷり|R-1]]チャンピオン([[博多華丸]])の両者を輩出する<ref>ただし、いずれの受賞も福岡在籍時ではなく、東京吉本移転後(パンクブーブーについては福岡吉本時代はそれぞれ別のコンビで活動しており、後に東京吉本で再雇用された)である。</ref>。