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== 目撃の歴史 ==
この怪物の目撃例として最古と思われるものは、[[文政]]10年([[1827年]])の[[越中国]]・[[立山]]でのもの。ただし、この頃は「くだん」ではなく「くだべ」と呼ばれていた。ここで[[山菜]]採りを生業としている者が、山中でくだべと名乗る人面の怪物に出会った。くだべは「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写し絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言した。これが評判になり、各地でくだべの絵を厄除けとして携帯することが流行したと言う。[[江戸時代]]後期の随筆『道徳塗説』ではこれを、当時の流行の[[神社姫]]に似せて創作されたものと指摘している<ref name="常光1993">{{Cite book|和書|author=[[常光徹]]|title=学校の怪談|year=2002|publisher=[[角川書店]]|series=[[角川ソフィア文庫]]|volume=|isbn=978-4-04-364901-3|pages=159-161}}</ref>。
[[水木しげる]]はク部(クは人偏に又の下に田)と表記し、人面の牛で腹部の両側面にも眼があったということを根拠に、くだべのことを[[白澤]]の同類であり、[[黄帝]]が白澤と遭遇した逸話と[[富山の売薬]]に関係があるとの見解を示している<ref>{{Cite book |和書 |author=水木しげる |year=2003 |title=[[妖鬼化]](むじゃら)〈2〉中部編 |page=60 |publisher=[[Softgarage]] |location= |isbn=978-4861330056|quote= }}</ref>。
 
[[ファイル:Mt_Kurahashi_Kudan.jpg|right|thumb|280px|倉橋山の件を描いた天保7年の瓦版]]