「ジャック・フェデー」の版間の差分

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1934年フランスに戻り、翌年、代表作ともいわれる'''[[女だけの都]]'''(La kermesse héroïque)を撮った。イギリス、ドイツでも仕事をしたが、[[第二次世界大戦]]時は、ドイツ軍に占領されたパリから、[[スイス]]の リヴ・ド・プランガン(Rive-de-Prangins)に難を避けた。そしてフェデー一家は、彼が1948年に没するまで、その地に居つづけた。
 
フランスの[[ウール=エ=ロワール県]]、ソレル・ムーセル[[:fr:Sorel-Moussel| (Sorel-Moussel)]]の墓地に葬られた。大聖堂で有名な[[シャルトル]]の、北北西の町である。4626年後に夫君を追った夫人も、傍らに眠っている。
 
彼は古典フランス映画のビッグ5の1人である。他の4人は、[[ジャン・ルノワール]]、[[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]、[[ルネ・クレール]]、[[マルセル・カルネ]]である。