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夏休みに[[ロサンゼルス]]でレコーディング。[[1978年]]、17歳(高校2年生、横浜希望が丘高校)の時に、後に[[スタンダードナンバー]]にもなった「[[オリビアを聴きながら]]」でデビュー。この経験から、その後も積極的に海外レコーディングを行い、海外のアーティストやミュージシャンとのコラボレーションも多い。特に、[[ピーボ・ブライソン]]、[[フィリップ・ベイリー]]([[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]])、[[ジョニー・ギル]](ニュー・エディション、LSG)、[[マイケル・フランクス]]などアメリカの偉大なアーティストとのデュエットも多数。また、外国人バックダンサーを日本で初めて起用するなど、常にグローバルで革新的なスタイルを切り拓いてきた。現在も日本と海外のミュージシャンによるグローバルバンドでのライブ活動を行っている。
 
デビュー後には歌唱力は評価されたもの数年間はセールスは伸び悩み、80年代アイドルの曲調に寄せた「[[コットン気分]]」、ヨーロピアンサウンドに寄せた『[[哀しみの孔雀]]』など曲調を転々とさせてリリースを続けるもののヒットに結びつかなかった。本人にとっても「一番苦しかった時期」だったという。
 
[[1982年]]に当時のバックバンド『スプリット・ココナッツ』のメンバーでもあった[[小林武史]]が作曲して[[花王]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で使われたシングル盤『[[思いきりアメリカン]]』と同シングル曲を収録したベストアルバム『[[思いきりアメリカン 〜I Love Poping World,Anri〜]]』がヒット、全盛期の杏里の代名詞とも言える「夏」「海」のイメージが固まった。7月には初のエッセイ集『思いきりアメリカン』を発売。