「オリエンテーション (教育)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
言い回し:目的×3。日本の確立時期部分(50年代末-1950年代)は確認or表現替えを。
→‎日本: typo修正
13行目:
 
=== 日本 ===
大学が新入生を集めて、教育内容の説明や履修指導をおこない、またクラブ活動などの紹介をすることをオリエンテーションを呼ぶ習慣は<ref name="y19680417">{{Cite news|newspaper=読売新聞・朝刊|date=1968-04-17|title=[お茶の間歳時記]オリエンテーション|page=11}} - ヨミダス歴史館にて閲覧</ref>、[[1950年代]]末から[[19501960年代]]にかけて確立した。[[目加田誠]]は、[[1961年]]の新聞への寄稿の中で「オリエンテーションという近ごろ流行のことば」と述べているが<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞・東京朝刊|date=1981年4月7日|page=10|title=きのう きょう オリエンテーション}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>、[[1960年代]]末にはこの呼称はすっかり一般化していた<ref name="y19680417" />。また、[[立命館大学]]では1960年代から新入生の支援を自主的に展開していた学生たちが「[[オリター]]」と称されていたが、これが大学当局から正式に位置付けられたのは[[1990年代]]になってからのことであったという<ref>{{Cite news|newspaper=中日新聞・朝刊|date=2015年4月28日|page=13|title=いまドキッ!大学生 新入生支える先輩たち 歓迎合宿で親睦図る「オリター」 基礎演習で教育指導も|author=土屋晴康}} - 中日新聞・東京新聞データベースにて閲覧</ref>。
 
大学キャンパス内の説明会や学生サークルの勧誘などにとどまらず、新入生を学外へ連れ出す企画も早くからあり、[[中央大学]]では、1960年代はじめには、オリエンテーションの一環として、新入生と上級生がハイキングに出かけるという取り組みをおこなっていた<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞・東京夕刊|date=1962年4月16日|page=3|title=オリエンテーション さまざまな活動}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。また、1960年代には、教員や上級生も参加しての合宿形式による'''オリエンテーション合宿'''も広まった<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞・朝刊|date=1968-05-02|title=“オリエンテーション合宿”大流行 武蔵工大の新入生歓迎セミナーに参加|page=7}} - ヨミダス歴史館にて閲覧</ref>。やがて、[[1970年代]]半ばには、内容が肥大化していくオリエンテーションを、学生に対する「過保護」と批判するような論調も出るようになった<ref>{{Cite news|newspaper=読売新聞・夕刊|date=1975-04-10|title=[サイドライト]オリエンテーション|page=1}} - ヨミダス歴史館にて閲覧</ref>。また、オリエンテーション期間中やオリエンテーション合宿における飲酒や、それに起因する事故もしばしば生じるようになり、[[1984年]]にはオリエンテーション合宿に上級生として参加していた[[東京大学]]の2年生5人が溺死する事故も起きた<ref>{{Cite news|newspaper=朝日新聞・東京朝刊|date=1984年4月16日|page=1|title=東大生5人が水死・不明 山中湖 飲酒…ボート転覆 新入生歓迎合宿の夜 定員3に6人乗り込む 東大生5人、山中湖で水死}} - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧</ref>。